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フランス女性と同棲中

ナンパしたフランス人と同棲する高卒ニートの整理と極論

なぜ若者もコミュニケーション能力を重視するのか、まとめ

前回、なぜ企業の採用選考においてコミュニケーション能力が重視されるのか、マクロな視点から整理しました。

しかし、コミュニケーション能力が重要だという考えは、企業に限られたものではないようです。これは、その言葉を学生や若者が「コミュ力」と略して使うようになったことからもうかがえます。

そこで今回は、なぜコミュ力が重要だと考えられているか、あるいはその言葉を忌み嫌っているか、マクロな視点から整理してみます。

※グラフ多め(図が9枚)、5000字弱あるカッチリ系の長文です。

0、概要

まずその理由をひとことで言えば、「格差」につながるからです。

どのような格差か。
所属・形成する集団(つながり)という観点で見れば、大きく次の3点に分けられるでしょう。

1、会社:就職ができない格差
      正社員 >>> 非正規・失業者・ニート 

2、友人:友人ができない格差
      リア充 >>> 非リア・ぼっち

3、恋愛:恋人ができない格差
      モテ  >>> 非モテ・喪男(女)・非リア

それぞれを順に見てみます。
なお、上記の俗語の詳細は、脚注を参照*1

1、会社:就職での格差

前回記事で示したように、企業は学生の採用にあたってコミュ力を重視しています。そのため多くの学生も、企業に就職するために、コミュ力を重視せざるを得ません。

なぜなら、現在の日本では会社などからの賃金・給料で金銭収入を得る「雇用者」が約9割で、企業に勤めず「自営業」や「家業の手伝い」として金銭収入を得る道が少ないからです。

このため、企業に正規採用されなかった場合には「非正規雇用・失業者・ニート」となる可能性が高く、企業(会社)に採用されるか採用されないかで、学生の将来に経済的な格差が生まれます。

この経済的な格差とは、採用されて正社員となった場合と、採用されずに非正規雇用や失業者・ニートとなった場合とで、「年収・雇用期間・保険・年金」などの様々な面で生まれる格差を総合したものです。

現在、企業に正規採用されない「非正規雇用」や「失業者・ニート」の数は増え続けています。

上図、非正規雇用率は、この20年でほぼ一貫して上昇しつづけていることがわかります。
出典:図録▽正規雇用者と非正規雇用者の推移

こうした状況から、「就活」によって人生が大きく変わる、格差が生まれる、という強迫観念のようなものを抱く若者もいるようです。その顕著な例として、「就活」を原因とする自殺者の増加が社会問題ともなっています。
就活自殺:2007年の60名から、2010年の153名へ増加(警察庁自殺の概要資料)

また、経済的な格差に留まらず、正社員と非正規では交遊関係にも格差が生まれているようです。

   2007年 内閣府「国民生活選好度調査」        正社員 非正規
職場の人と仕事以外でも付き合いたいのに付き合えない若年者 21.3% 32.6%
職場の人と一緒に昼食をとることがほとんどない       29.5% 36.4%
職場の人との飲み会や食事会にほとんど行かない       45.2% 61.8%
社外の人との交流や勉強会に参加していない         58.2% 81.2%

これらのことから、たかだか企業が就活で重視しているに過ぎない「コミュ力」を、若者も重視せざるを得ない状況が生まれているようです。

2友人・3恋人の格差

21世紀の日本では、「家庭・地域・会社」などが持っていた強制的なつながりの力が弱まっています。そのため、「友人・恋人」などの自主的なつながりを作る力としての「コミュ力」が重視されているのではないでしょうか。

コミュ力がなければ、友人がいない・恋人がいないという格差につながるからです。

ここで、「友人・恋人がいないなどは大したことではなく、それを格差と呼ぶのはおかしい」と思われる方もいるかもしれません。

けれどもコウモリは、現代日本における格差は、経済的な収入の格差だけを見るのではなく、精神的な収入の格差をも見るべきだ、と考えています。

精神的な収入とは、大ざっぱに言えば、『人はパンのみにて生きるにあらず』で言われるような精神的な満足のことです。これには、自分の好きなことをしていることで得られる「楽しい」や、達成や成長で得られる「やった」や、集団に所属することで得られる「いていいよ」や、集団に貢献することで得られる「いてほしい」など様々な形があります。

このうち、他者から得られる収入である「いていいよ」「いてほしい」などは、存在意義・自己愛の充足・自尊心を満たすこと・他者からの承認など、様々な呼び方がありますが、ここではひと括りにして「承認」を使うことにします(文字数が短くてすむから)。



20世紀後半までの日本では、大家族の「家庭」や、「地域」共同体や、終身雇用の「会社」の中で、強制的に割り当てられた関係や役割をまっとうすることで、ストレスという精神的な支出を伴いつつも、承認という精神的な収入も得られていました。しかし21世紀の日本では、この強制的なつながりが弱くなったため、承認という収入が得にくくなってきていると思うのです。

あるいは経済成長期には、精神収入源の中に「国家」などの社会的な枠組みもあったかもしれません。自分が国や社会の成長に貢献していると感じることで、社会からの承認を得られたからです。

しかし現在、自分が社会に貢献していると感じる人は減っているように思えます。近年の社会貢献への意識の高まりがそれを傍証しています。

ヒトは、自分が社会に承認されたいと感じるからこそ、社会に貢献したいと願うのです。*2

つまり、承認という精神面の収入源であった社会(地域・会社・国家など)の枠組みが弱くなるなかで、友人・恋人(家族)という自主的なつながりの収入源の重要性が相対的に高まっているのだ、とコウモリは考えています。

これは、自主的なつながりを「持つ―持たない」の格差を表す俗語が充実してきたことを見れば明らかだと思われます。冒頭で示した「リア充・モテ―非リア・ぼっち・非モテ・喪男喪女」などの俗語の豊饒ぶりには目を奪われます。

そして「家族」は、地域や会社や国家などの枠組みがきわめて弱くなる中で残された、唯一の強制的なつながりの砦として、その重要性を高めつづけています。

しかも、友人・恋人・家族からは、精神的な収入だけではなく、おカネを融通してもらうというカタチで経済面の収入が得られることもあります。このような意味で、近年では友人・恋人・家族のようなつながりを社会関係資本(ソーシャルキャピタル)と呼ぶようです。

図には掲載していませんが、「金銭」「社会」「仕事」などを答えた人数は、どれも10%以下です(2008年)。また、2位の「愛情・精神」も20%未満に留まることを見ると、46%もの人数が答えた「家族」という柱は、精神的な収入と経済的な収入の2つの側面でのセーフティネット(最低限の収入を保障してくれるもの)として大きな役割を果たしていると考えられます。

非正規雇用でも実家暮らしであれば、友人・恋人がいなくても家族がいれば、生きていくことができる。

コウモリ自身が20代の多くをそうやって暮らしてきました。バイト先のレストランは店長の横領などで潰れ、浮気症の恋人に捨てられ、少ない友人はステータスの高い職種に就いて忙しく会ってもみじめになるだけ、こりゃもう自分には本当に何にもないや、ていうとき。そのときに帰る実家があったおかげで、なんとかコウモリは生きています。

そう考えると、家族が有効である場合には、仕事(正社員)も、友人(リア充)も、恋人(モテ)も、経済的・精神的収入の安定や上乗せのために求められていると言えそうです。

そのため、仕事や恋愛や友人面での格差が重要ではあっても、敗色濃厚であれば撤退を選ぶこともできます。*3

これが、その格差をさらに広げている要因でもあるでしょう。

なお、たとえば「異性の交際相手がいない」比率が上がるという格差の拡大は、主に2つ理由があると思われます。
1つは、人の流動性が高くなり、地域・会社などのつながりが弱体化する中で、長時間をともに過ごす中で自然に友人・恋人の関係を築ける機会が減っていること。*4
もう1つは、他者との強制的なコミュニケーション機会が減ったことでコミュ力に格差がついたこと。

これらを要因として、合コンや婚活などの場所で、即時的に恋人(次の家族)などを作るための「コミュ力」が求められるようになってきているといえます。これは、前回記事で触れた「他者とのコミュ力」という側面とは別に、「短期的なコミュ力」も求められているという側面を示しています。

4、精神収入の重要性

会社・友人・恋人などのつながりを得るために、若者もコミュ力を重視しているのではないか、と話してきました。
そして、これらのつながりがない場合、金銭的な不安だけでなく、精神的な不安も抱えることになります。

21世紀に入って大幅に増加している3つの精神疾患(不安障害・うつ病・統合失調症)は、これまでに確認したような地域や会社などのつながりの弱体化により精神収入源が不安定になったことや、コミュ力の格差拡大を社会背景としていると言えるかもしれません。

<うつ病など>
ある意味でうつ病は、精神的な手持金(行動力)がないために「何もしたくない」と思ってしまう病気です。うつ病が21世紀に入って大幅に増加したのは、安定した精神収入源を作りにくいことや、ストレスなどの精神支出が承認などの精神収入を上回りやすいことが原因といえるかもしれません。*5

<不安障害など>
不安障害などには、対人恐怖症が含まれます。他者とのコミュニケーション経験が少ない生育環境で育った人が、グローバル化・都市化が進む中で見知らぬ雑多な人間とのコミュニケーションを要求されることが、対人恐怖症につながる原因かもしれません。

5、まとめ

ここまでを再度まとめると、コミュ力が必要とされるのは、仕事・友人・恋人、これらのつながりを作ることで、経済収入と精神収入を安定させるためです。経済的不安は貧困に、精神的不安は精神疾患につながりえるからです。

しかし、さまざまな格差は広がっています。その深刻さは、格差を表す言葉の充実ぶりを見れば明らかです。

このさまざまな格差の元凶として、コミュ力の格差があるように思えます。
これを表すために生まれたのが、コミュ力の低い者を指す言葉の「KY」「コミュ障」「アスペ」などの俗語です。いずれも21世紀に入ってから生まれ、または転用され、使用頻度が高くなった言葉です。

次回は、「コミュ障」というコトバを巡る状況を整理して、コウモリの提案を書きます。
→ 編集中

前回
なぜ企業はコミュニケーション能力を重視するのか

*1:
非正規:非正規雇用として働く者。パート・アルバイト・契約社員・派遣社員。

失業者:職を探しているが、就業できない者。

ニート:職を探していない、若年無業者。元来は教育・労働・職業訓練のどれにも参加しない状態を指した。

ぼっち:友人のいない者。いつも1人ぼっちでいる状態からそう呼ぶ。学生言葉。

リア充:リアル世界(非ネット世界)で充実した精神生活を送っている者。

非リア:リアル世界(非ネット世界)で充実した精神生活を送っていない者。

非モテ:異性からモテないと主観的に思っている者で、モテたいという承認欲求を抱えた者。

喪男女:異性からモテないと客観的に明らかな者で、モテたいという欲求を失った(捨てた/捨てさせられた)者。

*2:なお、人間の欠乏ではなく、社会の欠乏を原因として人間が社会貢献の意識を持つこともあるとは思います。けれども、現代日本ではその可能性は低いと思われます。生活目標を聞いたNHK「日本人の意識」調査では、「みんなと力を合わせて、世の中をよくする」ことの比率が1973年13.8%から2008年5.6%まで一貫して減り続けているからです。その一方で「身近な人となごやかな生活を送る」「その日その日を自由に楽しく過ごす」の選択割合が増えています。社会貢献意識の高まりとは矛盾するかに見えるこれは、社会の側が差し迫って人間の貢献を求めている(例:戦争、飢饉)のではなく、人間の側が社会からの承認を求めているに過ぎない、という現代の日本人の意識を如実に反映しているでしょう。資料参照:現代日本人の意識構造

*3:失業者よりもニート(働こうとしない若年者)などの方が増加比率が高い。1980年→2010年で「完全失業者」は3%増加、ニートなどの「その他・不詳」は7%増加。また、交際相手がいない18~34歳の中で「特に異性との交際を望んでいない」と答えた比率が、男性は45.0%、女性は45.7%に上っている。(社会保障・人口問題研究所の「出生動向基本調査」2010年)

*4:このため、長時間をともに過ごす場所であり、自然に友人や恋人が作れる機会のある場所として残された、唯一の砦として「学校」が人生に占める比重が大きくなっている。そこでは「友人・恋人」のいる―いないが強い価値比重を持ち、「スクールカースト」として機能するようになってきている。

*5:新薬の開発と病気の啓発による軽症患者の受診増加が理由という説もあります。→冨永辰一郎「なぜうつ病の人が増えたのか」

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