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フランス女性と同棲中

ナンパしたフランス人と同棲する高卒ニートの整理と極論

東京オリンピックでは、ドーピングありにしてみない?

社会と文化 ネタ記事

ロボット技術などを用いた高度な補装具を装着する障害者スポーツ選手たちが競う、サイバー義体者のオリンピックが2016年10月にスイスで開催される。
サイバー義体者のオリンピック「サイバスロン」開催へ « WIRED.jp

そんでさ。
2020年の東京オリンピックでは、ドーピングありあり薬使いまくりのドーピンピックを並列して開催してみたらどう?
ていうか、オリンピック・パラリンピックは止めにして、ドーピンピックとサイバスロンだけにしようぜ。

オリンピックの目的と方向性

オリンピックは、人類の持つ資源を大量に集めているイベントなわけでしょ?
夢と金を経由して、人類の認知資源と肉体資源をバカスカ注ぎ込んで行われるイベントなんだから、何かしら人類にとって有益な方向性を考えた方が良いと思うんだ。今のままだと、かなり資源を無駄遣いしてると思うから。

たとえば人類のトップ選手が、100mを走るのが0.1秒早くなったとする。
だから何?ってコウモリは思うんです。

それを人類の進歩と呼ぶのか?と。

だって馬と競争させれば、圧倒的に負けるわけじゃん。ボルトとか、超遅ぇよ。それに、ボルト個人が速いだけで、その身体運動の筋肉なり技術なりを他の人類全般に広めることができなかったら、インパクト少ないんじゃないですか?って思うのです。オリンピックに注ぎ込んでる資源から逆算すれば、人類の進歩にかける燃費が悪すぎやしませんか?と。

ここでオリンピックの目的を確認しとくと、その中には戦争代理、ってのもあるだろうし、娯楽、ってのもあるだろうけど、元々は「身体性能・身体技能」を競い進歩させてくとこに本義があると思うんだ。

なので、オリンピックには二つの方向性があると思うのです。

①身体性能を外側から拡張するイベントとして、サイバスロン。
②身体性能を内側から拡張するイベントとして、ドーピンピック。

もしもこれらが世間の耳目と資金を集めたら、人類の進歩が一層早くなると思う。
①義手や義足などの開発にかける製造メーカーの競争を進めることができるし、
②身体性能を上げつつ安全な薬の開発にかける製薬メーカーの競争を進めることができるから。

義手も義足も、薬も、他の人類全体が使うことができる。そっちの開発を促進するイベントにした方が、クールじゃないですか?

パラリンピックに替わりサイバスロンを、オリンピックに替わりドーピンピックを。

ドーピングの禁止理由と禁止反対理由

ドーピング禁止理由でググったら、こういうサイト出てきた。
http://www.npb.or.jp/anti-doping/
ドーピングがダメな理由は、こういう感じらしい。
1、選手の健康を害する
2、アンフェアである
3、社会に悪影響を与える
4、スポーツそのものをだめにする

コウモリには、これが何を言っているかさっぱり理解できない。

1→安全な薬を進歩させろ。オリンピックはそのビッグチャンス。大量の金が動く。
2→みんなで使えばフェア。サメ肌水着と同じでしょ。
3→薬の上手な使い方・良い薬の研究開発を促進させるよ。薬嫌いな子供にも良影響。
4→スポーツを狭くとらえすぎ。スポーツはもっと広く自由なハズ。解き放て!

いちおう、詳しく説明しておく。

1、選手の健康

学校の教科書にも載っている『ゾウの時間、ネズミの時間』では、「一生の間に打つ鼓動の回数は、動物のサイズに関係なく同一である」と習った。
哺乳類ではどの動物でも、一生の間に心臓は20億回打つという計算になる、と。

Amazon.co.jp: ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書): 本川 達雄: 本

コウモリは、子どもの頃から思ってたよ。「じゃあオリンピック自体が、健康に悪いんじゃないの? どう考えても、選手は寿命を縮めてるでしょ」って。みんな、ワッサワサ心臓を脈打たせて、寿命を燃やしている。

でもきっと、生きるってそういうことなんだよね。スポーツに賭ける、ってのも、そういうことなんだよね。そして多くのヒトがオリンピックに熱狂するのも、「命が燃える瞬間」を見たいからなんだよね。

いまのドーピング基準は、「人類の進歩」や「選手の健康と生きる意味」など様々なものを天秤にかけた結果として妥当なものなのだろうか? もっかい考え直してみてもいいんじゃないかと思う。

2、フェア

薬物使用の範囲が大きく許可された場合に、「お金があるヒトだけが良い薬物を使えるようになってアンフェアだ」って意見もあるかもしれない。でも、それを言っても仕方ないと思う。今だって、お金がある人は良い食事を摂取できているのだし。

3、社会への影響

禁止している方が悪影響だと思う。いまや、薬と人類の関係は切っても切れないなもの。「薬を使う」ことのイメージを悪くしている時点で、今が悪影響を受けているんだよ。その大きな機会損失に気付いてないだけ。埋没原価を見落とすのは止めにして、ゼロベース思考でいこうぜ。

4、スポーツとは

もしドーピングを許可すれば、「製薬会社の力と選手の力の合算での勝負になるから、純粋に選手の能力での勝負じゃなくなっちゃう」という反論があるのかもしれない。けれども、すでに今も、企業や国などのスポンサーが提供する練習設備や器具装備なども含めた上での戦いじゃん。マシンにせよシューズにせよ水着にせよ。あるいは審判にせよルールにせよ。

純粋な選手個人の能力での勝負なんてものは存在しない。だいいち、そもそも純粋な能力ってなんなんだろう?遺伝子による先天的な能力でもなければ、後天的な努力だけでもなく、現状はそれぞれの暫定的で複合的な合算値に過ぎない。

ドーピングOKにした場合には、成績に占める「スポンサー企業力」の位置づけと製薬会社の比率が大きくなるってだけでしょ、別にいいじゃんそれで。あと、選手の力に含まれる要素に「運」「努力」「才能」などがあるとして、その「才能」欄に新たに薬物耐性力ってのが付け加わるくらいだ。

そして、薬物耐性力って今後の社会においてはかなり重要な「基礎能力」だと思うし、むしろこっちメインで勝負する競技とかあってもいいんじゃないの、って思うくらい。で、競技になれば、その才能を伸ばそうとする人たちが出てきて、その方向へ向かって人類の成長と進化への努力が紡がれる。

薬物耐性力の強い人類、超いいじゃん! 足早いとか早く泳げるとか、そんなんよりかずっと有益だと思うよ、薬に強いって能力。人類の危機シナリオとして想定されるパンデミックへの対応の1つでもあるし、人類が宇宙に出ていくことを想定した対応の1つでもある。

まとめ

ここまでを別の観点からまとめる。
①薬の開発を促進して薬の性能と安全性を向上させるべき
②薬を使うことのイメージを変えるべき
③薬に適した人類となることを奨励すべき
オリンピックで薬物使用の範囲を見直すことは、そのための良いチャンスだと思う。
タモリンピックのない今、日本にはドーピンピックが必要なのだ。

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