彼氏は日本人。彼女はフランス人。

日本人とフランス人の国際カップルの記録

二択を「活用」する、ということ。


トランプのババ抜きで、
残り手札が多いとき。

わざと、
一枚だけをあからさまにアピールする作戦、
ありますよね?

もしその作戦を採るなら、
みなさんはどちらを選びますか?


その一枚にあえてジョーカーを選んでアピールするのか、
それとも、ジョーカー以外をフェイクでアピールするのか。


コウモリは、あえてジョーカーをアピール札にする作戦をとります。


たとえば手札が5枚あったとして。
もし何もしなければ、相手にジョーカーを引かせられる確率は20%。

けれど、アピール札にジョーカーを仕込んだとき。
本来なら相手方は
「ジョーカーがアピール札にある確率は20%、その他が80%」
と考えて行動をとるべきなのに、
「アピール札がジョーカーなのか、そうじゃないのか」
とあたかも50%-50%であるかのように錯覚して行動してしまいがちだからです。

その結果、ジョーカーを引かせられる確率も50%付近に上昇するんじゃないかなー?と思うのです。

もちろん、単純確率以外に、性格やら関係やら履歴やら他のパラメータも大きく左右するし、たとえば僕の今の宣言を聞いた人に対しても同じ戦略が通用するか?といえば話が変わってくるので、一概には言えないのだけれど。

あえて二択にする

けれどもコウモリは、この「あえて二択にする」という考え方が非常に好きです。

たとえば、「朝ごはん、食べるー食べない?」という二択をたてたときには、「食べるー食べない」を50-50で考えてしまうけれど、「うどんーそば、どっち食べる?」という二択を立てた時には「うどんーそば」を50-50で考えてしまい、その前提にある「食べる」という選択について考える作業は、一旦遅れてしまいます。

相手に対して二択を提示する質問の場合、あまりにもあからさまだとバレるけれど、誤差の範囲内でなら成功する場合もあるこの戦略。

「何が議題か」を浮かび上がらせ、相手のCPUを占領すること。質問というコミュニケーション手段の半分には、そういう意図があるよねー、と思うのです。

だからこそ逆に。

防衛する。自分の意識の上に載せるカード。

様々なことに関して、「間違えて二択と捉えて考えてしまう」癖ってあるよなー、とも思うのです。

同じ空間にいる誰かに明示的に質問を受けていないときでも、僕らの脳内には常に「議題」が浮かびあがり、そのことについて判断を下していく。けれども、この自律的に議題を浮かび上がらせる思考の中にも、過去の経験に基づいた楔としての「二択」が刻み込まれていることって多いよなーって思うのです。

たとえば自殺する人は、毎日毎日、「自殺しようか、やめようか」という二択とともに暮らしていると思うのです。そりゃ、その二択を常に脳内の俎上に置いていたら、いつかは間違えてジョーカーを選んでしまうかもしれない。

そして、こういう人に対して「自殺するのはやめろ」と説得するのはとても困難でコストが高い。

むしろ、「自殺しようか、やめようか」という二択を無意識下に埋没させ、別の物事が意識の俎上に常に上るような状態にしてあげる方が、効果が高いしコストも低いのではないでしょうか。

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余談

この記事は、次の記事を読んで考えたことを書いたものです。
とても大切なことが書いてあると思うので、ご一読を勧めます。
話題になった自殺を取り上げる際に読んでおきたいWHOの手引き - 斗比主閲子の姑日記

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