彼氏は日本人。彼女はフランス人。

日本人とフランス人の国際カップルの記録

なぜ学生もコミュニケーション能力を重視するのか ~②友人・恋人~

前回(→なぜ学生も①)、学生がコミュ力を重視する理由として、「会社」の採用選考で必要とされるからだ、という理由を見た。
そして、正社員と非正規・失業の格差が拡大している状況を確認した。
しかしそれ以外にも、学生がコミュ力を重要だと考える大きな理由がある。


②友人・③恋人

21世紀の日本では、「家庭・地域・会社」などが持っていた強制的なつながりの力が弱まり、自主的に作る「友人・恋人」などのつながりが重要になってきている。そのため、これら自主的なつながりを作る力としての「コミュ力」が重視されてきている。コミュ力がなければ、友人がいない・恋人がいないという格差につながるからだ。(下図、広がる格差を示している)

ここで、「友人・恋人がいないなどは大したことではなく、それを格差と呼ぶのはおかしい」と思う方もいるかもしれない。そう思う方は、次のような視点を導入してみてほしい。現代日本における格差は、経済的な収入の格差だけを見るのではなく、精神的な収入の格差をも見るべきだ、と。
精神的な収入とは、大ざっぱに言えば、『人はパンのみにて生きるにあらず』で言われるような精神的な満足のことだ。これには、自分の好きなことをしていることで得られる「楽しい」や、達成や成長で得られる「やった」や、集団に所属することで得られる「いていいよ」や、集団に貢献することで得られる「いてほしい」などがある。
このうち、他者から得られる収入である「いていいよ」「いてほしい」などは、存在意義・自己愛の充足・自尊心を満たすこと・他者からの承認など、様々な呼び方があるが、ここではひと括りに「承認」を使うことにする(文字数が短くてすむから)。


20世紀後半までの日本では、大家族の「家庭」や、「地域」共同体や、終身雇用の「会社」の中で、強制的に割り当てられた関係や役割をまっとうすることで、ストレスという精神的な支出を伴いつつも、承認という精神的な収入も得られていた。しかし21世紀の日本では、この強制的なつながりが弱くなったため、承認という収入が得にくくなってきているのだ。
あるいは経済成長期には、精神収入源の中に「国家」などの社会的な枠組みもあったかもしれない。自分が国や社会の成長に貢献していると感じることで、社会からの承認を得られたからだ。しかし現在、自分が社会に貢献していると感じる人は減っているように思える。近年の社会貢献への意識の高まりがそれを傍証しているだろう。

人間は、自分が社会に承認されたいと感じるからこそ、社会に貢献したいと願うのだ。※1

つまり、承認という精神面の収入源であった社会(地域・会社・国家など)の枠組みが弱くなるなかで、友人・恋人(家族)という自主的なつながりの収入源の重要性が相対的に高まっているのだと考えられる。これは、自主的なつながりを「持つ―持たない」の格差を表す俗語が充実してきたことを見れば明らかだ。「リア充・モテ―非リア・ぼっち・非モテ・喪男喪女」などである。
なお「家族」は、地域や会社や国家などの枠組みがきわめて弱くなる中で残された、唯一の強制的なつながりの砦として、その重要性を高めつづけている。

しかも、友人・恋人・家族からは、精神的な収入だけではなく、おカネを融通してもらうというカタチで経済面の収入が得られることもある。このような意味で、近年では友人・恋人・家族のようなつながりを社会関係資本(ソーシャルキャピタル)と呼ぶ。
上図に掲載していないが、「金銭」「社会」「仕事」などを答えた人数は、どれも10%以下である(2008年)。また、2位の「愛情・精神」も20%未満に留まることを見ると、46%もの人数が答えた「家族」という柱は、精神的な収入と経済的な収入の2つの側面でのセーフティネット(最低限の収入を保障してくれるもの)として大きな役割を果たしていると考えられる。
非正規雇用でも実家暮らしであれば、友人・恋人がいなくても家族がいれば、生きていくことができる。僕自身が20代の多くをそうやって暮らした。バイト先のレストランは店長の横領などで潰れ、浮気症の恋人に捨てられ、少ない友人はステータスの高い職種に就いて忙しく会ってもみじめになるだけ、こりゃもう自分には本当に何にもないや、てとき。そのときに帰る実家があったおかげで、なんとかコウモリは生きている。

そう考えると、家族が有効である場合には、仕事(正社員)も、友人(リア充)も、恋人(モテ)も、経済的・精神的収入の安定や上乗せのために求められていると言えそうだ。
そのため、仕事や恋愛や友人面での格差が重要ではあっても、敗色濃厚であれば撤退を選ぶこともできる。※2
これが、その格差をさらに広げている要因でもあるだろう。
なお、たとえば「異性の交際相手がいない」比率が上がるという格差の拡大は、主に2つ理由があると思われる。
1つは、人の流動性が高くなり、地域・会社などのつながりが弱体化する中で、長時間をともに過ごす中で自然に友人・恋人の関係を築ける機会が減っていること。※3
もう1つは、他者との強制的なコミュニケーション機会が減ったことでコミュ力に格差がついたこと。
 これらを要因として、合コンや婚活などの場所で、即時的に恋人(次の家族)などを作るためのコミュ力が求められるようになってきているといえる。これは、本章の前半で見た「他者」とのコミュ力という側面以外にも、より「即時的な」コミュ力も求められているという側面を示している。

つづき→なぜ学生もコミュ力を重視するのか・まとめ

※1なお、人間の欠乏ではなく、社会の欠乏を原因として人間が社会貢献の意識を持つこともあるが、現代日本ではその可能性は低いと筆者は考える。生活目標を聞いたNHK「日本人の意識」調査では、「みんなと力を合わせて、世の中をよくする」ことの比率が1973年13.8%から2008年5.6%まで一貫して減り続けているからだ。その一方で「身近な人となごやかな生活を送る」「その日その日を自由に楽しく過ごす」の選択割合が増えている。社会貢献意識の高まりとは矛盾するかに見えるこれは、社会の側が差し迫って人間の貢献を求めている(例:戦争、飢饉)のではなく、人間の側が社会からの承認を求めているに過ぎない、という現代の日本人の意識を如実に反映しているだろう。資料参照:現代日本人の意識構造 (NHKブックス)

※2
失業者よりもニート(働こうとしない若年者)などの方が増加比率が高い。1980年→2010年で「完全失業者」は3%増加、ニートなどの「その他・不詳」は7%増加。
また、交際相手がいない18~34歳の中で「特に異性との交際を望んでいない」と答えた比率が、男性は45.0%、女性は45.7%に上っている。(社会保障・人口問題研究所の「出生動向基本調査」2010年)  

※3
このため、長時間をともに過ごす場所であり、自然に友人や恋人が作れる機会のある場所として残された、唯一の砦として「学校」が人生に占める比重が大きくなっている。そこでは「友人・恋人」のいる―いないが強い価値比重を持ち、「スクールカースト」として機能するようになってきている。

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