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フランス女性と同棲中

ナンパしたフランス人と同棲する高卒ニートの整理と極論

炎上も一種の「エンターテイメント」って、どういうこと!?

社会と文化 言葉 漫才コント落語


炎上がなくならないのは、炎上案件を「批判するヒト」「見るヒト」にとって、炎上が一種の「エンターテイメント」だからです。
と言っても、少し不思議な気がする方もいるかもしれません。
『炎上するような対象は、たいてい「不快」なものだ。アルバイトが冷蔵庫に入っている様子を見たり、芸能人が不貞をはたらく様子を聞いたり、それら「自分の倫理観に反するもの」を見ることは不快だし、それについて批判の声を上げるのは社会正義のためであり、エンターテイメントなどではない』
とも言えそうだからです。

けれどもコウモリは、炎上を見て「不快な気持ちになる」のだとしても、
いやむしろ、「不快な気持ちになる」からこそエンターテイメントなのだと思っています。

どういうことでしょうか。

エンターテイメントとは何か

ざっくり言うと、コウモリは「エンターテイメント」を
「感情変動を起こすもの」と捉えています。

例えば
絶叫マシンやホラー映画で恐怖し、悲劇のドラマに悲痛し、炎上案件に憤怒する。
これらは全部、「不快な気持ち」ともいうべきものを起こさせるネガティブな感情変動です。
でも、人間はそれが大好きなわけです。

もういちど言います。
ポジティブな感情を起こすものだけがエンターテイメントなのではありません。
ポジティブな感情やネガティブな感情、それら全部を含めて、
「人間の感情を動かすもの」がエンターテイメントなのだと思っています。
逆に言えば、人間にとって、「感情を動かすこと」がエンターテイメントなのです。

ただし、ネガティブな感情変動がエンターテイメントになるには、
いくつかの条件が必要になってきます。

エンターテイメントの条件

ひとつは、「自分は絶対に安全だ」という前提が保証されていること。
絶叫マシンは、怖いけど、自分は絶対安全。だから安心して「怖がる感情」を楽しめる。
ホラー映画も、怖いけど、自分は絶対安全。生身のリアルな自分とは無関係だから楽しめる。
悲劇のドラマも、悲しいけど、自分は絶対安全。生身のリアルな自分とは無関係だから楽しめる。
炎上案件も、腹が立つけど、自分は絶対安全。直接は無関係なポジションだからこそ楽しめる。

もちろん、どれも本物の「恐怖・悲哀・憤怒」の感情と地続きです。
実際に自分が死ぬ危険を感じたなら、
その瞬間から、それはエンタメではなくなります。
ただの恐怖体験です。 
悲劇のヒロインが、自分のリアルと全く同じに感じたなら、
その瞬間から、それはエンタメではなくなります。
ただの痛みです。
(エンタメの中でも共感で痛みを感じますが、
 ストーリーを見続けられる範囲なら、本物の痛みではありません。
 本当に同じ苦痛を感じる瞬間を経験したことがあるなら分かります。
 映画もドラマも、そのようなストーリーやシーンは「見てられません」。
 交通事故で弟を亡くした人は、同じ体験の映画を見ることはできません。
 それを見ることができるようになるのは、リアルな苦痛の期間を乗り越えた後のことです)
炎上案件で、自分に火の子が降りかかって実際の迷惑を受けたなら、
その瞬間から、それはエンタメではなくなります。
ただの憤怒です。

本物の感情を経験したことがなければ、その境界線は分かりづらい。
けれども、地続きながらも、そこにはハッキリと境界線があります。 

エンタメなら、「楽しい」。
エンタメなら、「自ら進んで経験しようとする」。

それが判定ラインです。

ネガティブな感情にされると分かっていながら、わざわざ、
ホラー映画を見て、絶叫マシンに乗り、泣ける映画やドラマを観て、そして炎上案件を物色する。
それが「エンタメ」です。
「わざわざ、自分から」そうするのがエンタメです。
エンタメだから、「わざわざ、自分から」その場所に入りこんでいくのです。

ひとまず、自分は絶対に安全だという前提の上であれば、
ネガティブな感情変動は「感情を動かす遊び」としてエンターテイメントになる、ということです。

エンターテイメントって、人間にとって何?

コウモリは、このエンタメ機能は「学習の一環としての遊び」だととらえています。
幼いチーターの兄弟が、将来の狩りに備えた学習の一環として、
互いに追いかけあい小突きあい、あるいは蝶や蛙をもてあそぶように。

人間が持つさまざまな「感情」というアプリケーションを有効に働かせるために、
人間は「学習の一環としての遊び」として、
「仮の感情変動を快感に感じる機能を持っている」のだと捉えています。
いわば、それぞれの感情アプリのアップデート(バージョンアップ)機能、
それがエンタメの本質だと思っているのです。

さて、ここで1つ確認しておきたいことがあります。

ネガティブな感情変動がエンタメとして成立するためには、
「安全な前提+感情変動」というだけではなく、もうひとつ必要な条件があることです。

エンターテイメントの必要条件その2

それは、「行動」です。
つまり、
「安全な前提+感情変動+行動」、それがネガティブ系エンタメの条件だと思っています。

「感情」というアプリケーションが人間に対して持つ機能は、
「なんらかの行動を起こさせること」だとコウモリは考えているからです。
具体的に言った方が分かりやすいかと思うので、具体的に言います。

ホラー系の「恐怖」という感情であれば、「叫ぶ」行動がそうです。
キャー!!!と叫ぶこと、それが恐怖感情をエンタメとして受容する際の必要条件だと思うのです。
叫んで、恐怖の感情を表出させること。あるいは「安全な場所へと移動する」までを含めてもかまいません。

悲劇・感動系の「悲痛」という感情であれば、「泣く」行動がそうです。
うぅううう。シクシク。悲痛の感情を表出させること。
それがエンタメとして成立するための必要条件。
あるいは「悲痛が回復される状況を見る」までを含めてもかまいません。

そして炎上系の「憤怒・嫉妬」という感情であれば、
「非難する・非難されているのを見る」などの攻撃行動・準攻撃行動。
それが、エンタメとして成立するための必要条件です。

「感情変動」は、人間にとってのガソリンみたいなものです。
そのガソリンを使って、人間の身体を動かす。あるいは身体から何かを排出する。
悲鳴や涙や罵声や笑い。
そうやって、身体から何かを排出することが、「気持ちいい」。
そこで「快感」を感じるように、人間は出来ている。
食べたものをうんこにして出すと「快感」を感じるのと、まったくおんなじ。

それがエンタメという、人間の感情アップデート機能の仕組みだと思うのです。

エンターテイメントとしての炎上

そう考えてみると、なぜネット時代になって「炎上」という人間行動がクローズアップされてきたかが見えると思います。

他のエンタメに比べて、「憤怒」という感情は「双方向的」な行動解決を必要とします。
叫ぶ、泣く、笑う。
そういった他のエンタメであれば、自己完結できます。
ところが、「怒る」という行動には必ず「怒りをぶつける対象」が必要です。

そう。インターネットが、双方向性のコミュニケーションのコストを大幅に引き下げた。
それによって、これまではエンタメとして成立しにくかった「憤怒」という感情が、
新たにエンタメ枠に入った。
簡単に「非難の声」をぶつけることができるようになったから。それが「炎上」ではないか。
(もちろん、昔から似たようなものはあったと思います。
 ケンカは人だかりを生んだし、いつの時代も「怒り」を使うエンタメはあったハズ。
 でも、それが可視化され、身近に成立するようになったのは、
 コミュニケーションツールの発展が背景にある。)

もういちど言い換えて確認します。
「安全な席で怒りの感情変動を起こし、そして安全な席からその怒りをぶつけ・発散する」。
ここまで含めた一連が、双方向コミュニケーションのネット時代になって一般化した、
「エンターテイメントとしての炎上」です。

そういうわけで、双方向性のネット時代になって新たにエンタメの仲間入りした
「怒り→炎上」
ですから、まだエンタメとしてはレベルが低いと思うのです。
千年以上もの蓄積された歴史を持つ、他の「泣き・笑い・怖い」系のエンタメと比べた場合には、
積み重ねの差は大きなものがあると思います。
例えば、この数百年でのエンタメとして日本で成立した落語を考えてみましょう。

エンターテイメントとしての落語を、炎上と比較して考えてみよう

泣きの人情噺・笑いの落とし噺・怖いの怪談噺。
でも、怒りの噺は…? 
人情噺や落とし噺などの中に入れ込む形で「怒り+発散」を使っている場合もあります。
けれども、一方的な情報伝達によるエンタメ枠組みの中では、
怒りという感情の「解決」は難しかったわけです。
しかしいま、双方向なコミュニケーションのコストが引き下げられたことで、
新たな「怒らせ噺」を作る人たちが登場した。
それが「釣り師」なのだとコウモリは考えています。

そして、他のエンタメと比べると歴史の積み重ねが浅い分、観客の目もショボイです。
簡単に釣れるのだろうと想像します。
泣かせる話などと比べると、制作コストが低くすみます。
それも当然です、自己完結させるための涙や叫びや笑いに比べると、
その感情表出までの道のりも短いからです。
人間は、笑わせるより怒らせる方が簡単だと言えば分かりやすいかもしれません。

そういうわけで、これからも当分は、「炎上」や「釣り」は起こると思います。
願わくば、それらによって「実際的な被害を受ける人」が少なくなるような、
コミュニケーションツールの設計が進んでいくことを、コウモリは期待しています。

自分でも、そのためのコミュニケーションツールのあり方を、少し考えています。

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