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フランス女性と同棲中

ナンパしたフランス人と同棲する高卒ニートの整理と極論

THE MANZAI 2013 感想 コメントの相克 「ビートたけしとテリー伊藤」

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 (画像は、日清食品 THE MANZAI 2013公式ツイッターより)

 

最終決戦の後のコメントが、すごく面白かった。

3組による漫才のあと、残るは結果発表のみ、というタイミング。

会場の指原に感想を聞いたあと、高島彩アナがとても面白いフリをする。

高島「1本目のネタと同じようなタイプで来た方と、

   全く変えてきた千鳥と、っていうね?」

これを受けて、岡村が話を引き取る。

岡村「もうウーマンは、ほぼ相方の悪口を言うようなだけでしたから。

   ハハッ」

もちろん岡村にウーマンを貶める悪意はない。おそらく高島のフリを受け、ウーマンも2本目で少し変化を持たせてきたことを指摘したかったのだろう。けれども、誤解を招きやすい言い方だ。そこを汲み取った矢部がすかさずフォローする。

矢部「立派なネタにはなってましたねぇ」

1本目では相方を嵌める展開で通したウーマン。2本目の序盤で同じ展開を見せつつも後半では嵌める手順をなくし、意図的に笑いの焦点を変える構成を見せた。つまり、「村本の詭弁で嵌めた中川サゲ・自分アゲ」から「悪口を言う村本のゲスさ」に笑いの重点をシフトさせたのだ。その構成やキャラクターの見せ方が絶妙で、もしかしたら「ただの悪口」のようにも見えるものを「立派なネタ」に昇華させていた。その点が、おそらく岡村の指摘したかったことだろう。

 ウーマンも2本目で少し変えていて、悪口をメインにしつつ立派なネタをしていた、と。岡村の言葉足らずな部分をすかさず引き取って埋める矢部の上手さが際立っていたようにコウモリには思えた。司会もやっぱり良いコンビね、と。

 この岡村→矢部のコメントの後、すぐさま高島がビートたけしにパスを出す。カンペの指示(台本上の進行手順)もあっただろうが、おそらく高島は、最初から「1本目と2本目でネタを変えること」に対する評価を、THE MANZAI最高顧問であるビートたけしに聞くつもりでいただろう。

高島「顧問いかがでしたか」

ここで、ビートたけしは間をとりながら、慎重に言葉を選んで話す。

たけし「うーん。ネタの選択の勝負かな。。感じはね」 

その様子が、とても意味深だった。

特定のコンビへのひいきを見せないよう、どのコンビも傷つけることのないよう、そして優勝が誰になるかへの観客の期待を膨らませるよう、慎重な配慮がなされつつ、それでも、たけしがコメントする際に見せた「言い切った」雰囲気は、胸中に特定のコンビがあることを想像させるものだった。

実際に、たけしが胸中で「このコンビが優勝だろうな」と思っていた組があったかどうかは分からない。

けれども、それを想像させる余白の存在こそが、ビートたけしがそこにいることの価値をもたらしていた。

 

ビートたけしのコメントの真意をめぐって…その10分前と90分前

おそらくお笑いファンにとっては、この余白こそが、これからの楽しみどころになるのではないだろうか。

「たけしは、あのとき誰が優勝すると思ってたと思う?」

「わたしはねー、、、」

 

邪推の楽しみであることを承知しながら、コウモリの解釈をここに書いておく。これはあくまで解釈だから、本当かどうかは分からない。けれども、そうだったら面白いな、というものだ。たけしがお笑い芸人として、テリーが演出家として、それぞれがテレビにおける地位を盤石なものとした番組「天才!たけしの元気が出るテレビ」での関係をすら想像させるからだ。そこには、ビートたけしとテリー伊藤の相克が垣間見えたように思えたから。

その説明のためにまず、少し時間をさかのぼる。ほんの少しだけ。

 

最終決戦で各組がネタ披露をした後、コメントをする場面があった。

その中でビートたけしのコメントがあったのは、あるコンビのときだけだった。

これも、同じく高島彩のフリから。

高島 「顧問も、、、顧問だいぶ笑われて?」

たけし「オレ泣きだしたよw、くっだらねぇー。ホントくだらねぇ(笑)」

たけしの隣にいた高島は、ビートたけしのリアクションで「どのコンビが好きか、どういう笑いが好きか」を分かっていたはずだ。そして、ビートたけしがお笑いに対してする最高評価の言葉が「くだらない」であることも知っているはずなのだ。

 なお、このコンビの1本目があった決勝Aブロックの後、ビートたけしはこのコンビに対して特別なコメントはしていなかった。むしろ、接戦の末に敗れたチーモンとオジオズに対して「他の2チームも(決勝でもう1本ネタを)見たかった」とコメントしていたくらいなのだ。

 それくらい、1本目と2本目で、たけしにとってネタの印象が変わったのが「そのコンビ」だったように思える。

 さて、その文脈を踏まえるなら。ウーマンも少しの変化をさせてきたにもかかわらず、高島があえてコンビ名を1つに絞ってフリを入れたのはなぜだろう?という疑問にも答えが分かる。

「1本目のネタと同じようなタイプできた方と、全く変えてきた千鳥と、

 っていうね?」

岡村が「ウーマンも少し変化させてきた」という但し書きをつけたものの、もともとの高島の頭の中では、ビートたけしに尋ねるつもりのフリだったのだろう。たけしが特別に気に入ったネタを2本目で見せたコンビへの評価と、それとは異なる会場ウケ、それらのバランスや相克について。

そしておそらく、たけしの「ネタの選択かな」という言葉の意味は…。

一連の流れを見ていた視聴者の中には、コウモリのような解釈をしたヒトが多かったのではないかと推測する。

 

ビートたけしのコメントをめぐって その60分前と30年前

そして実は、コウモリがこの解釈をしたのには、もう1つの理由がある。

それには時間を再び60分巻き戻して、1本目のウーマンラッシュアワーへのコメントを見ておく必要がある。

ウーマンラッシュアワーは、決勝Bブロックで会場を大きく盛り上げ、勝ち抜けを決めた。そのときの、テリー伊藤のコメント。

テリー伊藤

「ウーマンラッシュアワーは、すごい価値観ですよね。

 そこに、たけしさんいるんですけども、

 ツービート出てきたときも、ぼくビックリしたんですよ

 そういうニオイを。。ちょっとしますよね。すごいと思います」

テリーの言う「ニオイ」、そのコトバにもいろんな解釈があると思う。もちろん、その中には「スター性」というものもあるし、「漫才の価値観を変えた」という意味もあるだろう。

 テリー伊藤が感じたニオイの正体を説明するため、ここで漫才の歴史をおさらいしておこう。時間はおよそ、30年遡ることになる。

 そもそも、ビートたけしは1980年から火がついた漫才ブームで世に出た。そしてもちろん、当時のブームを象徴する番組こそが、初代のTHE MANZAIだった。賞レースという形式ではなかったものの、この番組を足掛かりにツービート、ビートたけしは爆発的な人気を獲得していく。

 そして、ツービートと同じく漫才ブームをけん引したコンビであるB&B、紳助竜介。この3組のネタの外枠にはある共通点があった。それは、次の2点だ。

 ①スピードが速いこと。

 ②1人が圧倒的に多くを話すこと。

奇しくも、ウーマンラッシュアワーのスタイルと同じなのだ。漫才ブーム以降はむしろ下火になったそのスタイルに、いまウーマンラッシュアワーがTHE MANZAIで再び火をともしたのだとも言える。テリー伊藤がウーマンに感じた「たけしさんと同じニオイ」には、もしかしたらその意味もあったかもしれない。

 時代は回る。人々が何を新しく感じるのかもクルクルと回転する。いま漫才ブームからちょうど1周し、ふたたび「1人が機関銃のように9割を話す」ネタが新鮮味を持って受け入れられていた。

漫才ブームとウーマンラッシュアワーの共通点その2

 更に、漫才ブームとウーマンラッシュアワーの共通点は、話し方のスタイルだけではない。実は笑いの取り方も、ウーマンが用いた「相方を貶め自分を上げる詭弁」という手法は漫才ブームの頃によく使われたものだった。

 ここで注意しておくべきなのは、「相方を貶め、自分を上げる」いわゆる「相方イジリ」と、それを高度に見せる「詭弁」が融合されている点だ。この手法は、TV番組上でかつて上岡龍太郎や島田紳助がよく用い、あるいは上沼恵美子が自家薬篭中の物とし、あるいは漫才では中田カウス・ボタンがよく使うものだといえば、その「古典的さ」が分かるかもしれない。

 実はこの手法は、近年の若手は敬遠してきた笑いの取り方だった。なぜか。

 まず「詭弁」を用いるためには、論理形式を見せるために多くの言葉数が必要となり、どうしてもボケ数が少なくなる。これは3分や4分といったサイズで行われるコンテスト時代を迎えた2000年以降には、明らかに不利な手法に見えた。

 さらに言えば、「詭弁」を操ることのできる「芸人」が必要とされない時代にもなっていた。テレビで1人が話すことを許される時間は年々短くなり、コンパクトなサイズで一言コメントする能力が求められるようになっていく。メイン司会者としては許されても、新しく登場する若手にとって「詭弁」を弄する時間すら与えられないのは火を見るより明らかだった。

 そしてもうひとつ。M-1時代には、「相方イジリ」は簡単な笑いの取り方だというイメージもあり、多くのコンビは使わないようにしていた。使うとしてもあくまでツカミだけ、本ネタは別のところにある、という場合がほとんどだった。ノンスタイルのように。

 けれども2010年に入り、THE MANZAIにおいて本ネタで明るくハゲをイジるトレンディエンジェルのようなコンビが、逆に新鮮味を持って受け入れられるようになってくる。ネタの中身でも時代は変わる。あるいはTHE MANZAIというフジのお祭り番組という性質がそうさせたのかもしれない。

 ともかくこの日、相方イジリ(悪口)に詭弁を融合させた古典的な笑いの手法に、再び火をつけたのがウーマンラッシュアワーであることは間違いなかった。テリー伊藤が感じたニオイとは、「外枠と中身の両面での相似形」という意味があったかもしれない。

ビートたけしとウーマン村本の共通点

 更にもう1点付け加えるべきことがある。そしてこれが、テリー伊藤の言葉を理解するのに最も重要なことなのだが、漫才ブームの中で、実はビートたけしだけが持ちえた特質があった。「スタンダップコメディのように、客を盛り上げる」点だ。具体的にその手法を言えば、「毒」であり「悪口」だ。

 毒・悪口で、観客の共感を呼び、あるいは盛り上げ、拍手を起こさせる。その観客の巻き込み方こそ、実はテリー伊藤が感じた「ニオイ」の本質かもしれない。

 ビートたけしに倣った痛快な毒を放った東京ダイナマイトは、惜しくも観客の全員を「毒を言う側」の味方に巻き込めなかった。半分は爆笑し、半分は「笑っていいの?」とヒヤッとしてしまったようだから。ああ、残念。でも、その「悪口で観客を引かせず巻き込んでしまうパワー」のようなものこそが、ウーマンラッシュアワーに対してテリー伊藤の感じたであろう「スター性」の中身であり、「ニオイ」なのだ、おそらく。 

 いずれにせよ、ウーマンラッシュアワーの村本には、上記で挙げた3つの点で、ビートたけしとの共通点があった。

 

 そのことを、たけしはどう思っただろう?

 

 実は、ウーマンラッシュアワーについて、この大会でたけしは一言もコメントしていない。ひとことも。

 もちろん、その機会・時間がなかったことが大きいだろうが、それ以外にも理由はあっただろうとコウモリは考える。

 ビートたけしは、実はウーマンラッシュアワーであまり笑っていたようには見えなかった。少なくともコウモリにはそう映った。…しかし面白くないと考えて笑わなかったわけではない。たけしがあまり笑いを見せなかった理由は、「自分がよく使っていた手法だから、その新鮮さが、他の誰にとってより少なく見えた」からだろう。「ああ、これオレがよく使ってた手だな」と思ったかもしれないし、遠い日の虚ろな記憶と照らし合わせて、笑うよりも他の思いに耽っていたかもしれない。コウモリにはそのように見えた。

 詳しくは分からないけれど、いずれにせよ、ビートたけしが一番笑っていたのは、実際に優勝したウーマンラッシュアワーではなく、「くだらない」という最高のコメントをもらったあのコンビだっただろう。

 

 ビートたけし、テリー伊藤、ウーマンラッシュアワー、千鳥。

  コウモリには、それらの文脈がカチカチと明滅した大会だったように思えた。 

 

 さて。今から30年後は、どうなっているだろう? 

 

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