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フランス女性と同棲中

ナンパしたフランス人と同棲する高卒ニートの整理と極論

あえて「お祝いメール」をしないChikirin に学ぶ、コミュニケーション術 ~chikirinの日記の横側~

コミュニケーション 言葉

~概要~ 

0、するべき「お祝いメール」をしない非常識なchikirinさん。なぜ?

1、コミュニケーションとは?

2、それで相手が喜ぶ?

3、それって本当に丁寧?

4、自分にとっても…な秘密の妙手!

5、今回学んだことのまとめ

( 約6200字:約6分10秒 → 図解が2つあるので長めです。)

 

0、なぜchikirinさんは「お祝いメール」をしないのか。題材説明。

言わずと知れたネット界のアイドル、Chikirinさんの昨日(もう一昨日かな?)のブログエントリが超カッコ良かった。「やっぱすげぇ…」と感動したのですが、共感してくれる人が少ないので、解説することにしました。ツイッター・FB・はてブの反応を見ても、その「面白さ」に気付いている人が少ないようですし。chikirinさん自身で解説するわけにはいかないタイプのエントリであり、しかも誤読される可能性も大きいため、不粋を承知で、そのコミュニケーション術を解説することにします。

  僕が感動したエントリはこれ → 祝! 森内俊之名人、竜王戦勝利 - Chikirinの日記

そのタイトルからも分かる通り、「chikirinの日記」の中ではすごく珍しいタイプのエントリなので、「chikirinの日記、普段は読んでいるけどスルーした」という方も多いかもしれません。でも、ちょっと待ってください! こういう珍しいエントリだからこそ、そのエントリを「深く読んでみる」ことで得られる気付きがあるものです。

このエントリでchikirinさんは、

 

「ほんとーは直ぐにでも「竜王戦、おめでとうございます!!」とメールすべきなのですが・・・そんなことしたら、きっとまた

「ありがとうございます。ところで、ちきりんさん。将棋の練習は進んでますか?」

みたいなお返事をいただきかねないという怖れがあり、その一手が指せません。

 

そこで、メールの代わりにこのエントリを書かせていただくことにしました。

 

と冗談めかして語っています。

ここ! ここなんです! 僕がびっくりして、感動した箇所!!!

一般的な話で言えば、個人的な「お祝い」をする方法としては、

対面

  >手紙

    > 電話

      > メール ≒各種SNSのメッセ 

                  >>> ブログ

というのが、フォーマル度という丁寧度というか、コミュニケーション上の礼儀みたいなものの大まかな順序だと思います。これまでの考えでは。

 そうするとchikirinさんの「メールの代わりにエントリを書きました」という話って、一見すると「個人的な関係のある人に対してブログのエントリでお祝いメッセージだなんて、非常識!」なわけです。コミュニケーションとしては、一般常識(定石)から外れた非常識(悪手)なのではないか、と思われるのです。一見すると。

 もちろん、chikirinさんと森内名人に個人的な関係がなくて、「いちファンとして祝う」なら、自身のブログで盛大に書くのが正しいでしょうが、今回は違う。それは、今回のエントリでも紹介されている経緯を読めば分かります。

 経緯 →(完全に詰まされたので)将棋をはじめることにしました - Chikirinの日記

簡単に言うと。chikirinさんの講演を聴きにきた森内名人に、chikirinさんが応援のつもりで「竜王戦の挑戦権を獲得されたら、私も将棋覚えることにします!」と言ったところ、数日後に「ちきりんさんに将棋を覚えてもらえるなら、頑張ります」と名人からメールが。そのあと、見事に竜王戦の挑戦権を獲得した森内名人に対して「おめでとうございます!」とchikirinさんがメールしたら、「これで、ちきりんさんに将棋を始めてもらえるのでとても嬉しいです」と森内名人からの返信があった。という経緯なのです。

 そんな経緯があるため、森内名人の竜王戦勝利には「直ぐにでもメールすべき」な関係なのです。chikirinさん自身が言うように。それにも関わらず、「メールの代わりにエントリを書きました」とchikirinさんは言うのです。

 この箇所を読んだ瞬間、「えっ!? それって森内名人に対して失礼じゃない? 良いのかしら?」と思って、僕はドキっとしたのです。しかも、「メールして将棋の練習しろと詰め寄られるのが怖いから」だなんて言ってのけて。

 これ、「あまり将棋の練習してないからメールで詰められたら面倒だな~。じゃあ、ブログにでも書くか。そしたら練習しろってメールしにくいだろうし」って意味に解釈したら、とんでもなく失礼な話なんですよね。

 でも、「はてな」でいちばん読まれるほどのブログを運営されるchikirinさんのコミュニケーションのセンスを考えれば、そんな失礼な話であるわけがないのです。

 そう思って「ジブンのアタマで考えて」、、初対面の女性にハイヒールで背中を蹴られた経験があるような、由緒正しいコミュ障の僕でも分かったのです、chikirinさんの意図が。そして、自分で文脈を想像して理解した瞬間に、「chikirinさん、超カッコ良い!」とトリハダが立ったのです。

 どういうことか。いちど原点に戻って、ゼロベースで説明します。

 

★★★★ 

1 コミュニケーションとは

そもそも、お祝いメッセージに限らず、「コミュニケーション」では、相手を喜ばせることが大切です。つまり、「相手の目的」を達成できるようにすることが大切です。その一方で、「自分の目的」も達成できるようにしないと、わざわざ他人とコミュニケーションをする意味がありません。

 だから、「自分の目的」と「相手の目的」、この両方を上手く達成させるのが、良いコミュニケーションです(とコミュ障の僕は定義しています)。

 今回の、chikirinさんの「お祝いメッセージ」では、どうでしょう。森内名人に「おめでとうございます」とメールを送る場合と、ブログエントリを書く場合で比べてみましょう。

 

★★★★

2 相手が喜ぶ?

chikirinさんの講演会に来るほどなので、森内名人はchikirinの日記のファンであることが推測されます(chikirinさんご自身では強調して言わないだろうけれど)。そうすると、「chikirinの日記」でブログエントリにする方が、メールを書くよりも「森内名人が喜ぶ」可能性があると分かります。chikirinさんがメールでなくエントリという伝達手段を選んだ理由の1つは、このポイントにあると推測されます。

 しかも、chikirinの日記というブログは、普段は「東京オリンピック決定」「東日本大震災」のような日本や世界にとっての歴史的な日以外には、当日のニュースを取り上げることの少ないブログです。日々の時事ネタには積極的でないことをchikirinさん自らが公言し、中長期的な視野から見た分析を記事にすることが多いブログです。そんなブログで、「森内名人が二冠へ」というニュースを取り上げてくれたことは、森内名人にしてみても、とても嬉しいことだろうなと想像します。

 ただ、それは僕の感動したポイントじゃない。「お前にはココロがない」と父親から言われるほど由緒正しいコミュ障である僕は、その程度では感動しないのです。

じゃあ、どこか。

 

★★★★

3 本当の意味で丁寧?

上記で一般的なメディア毎の丁寧度を示しましたが、「丁寧度」をより丁寧に考えてみるなら、「その送信コミュニケーションに自分がかけたコストが大きいほど丁寧」という一般原則①があります。(ここでのコストは、時間コストや金銭コスト、そして精神的なコストを総合したものです。)

 メールより手紙が丁寧なのは、手書きでしたためた手紙に切手を貼ってポストに投函する、というコストがかかっているからです。

 対面とそれ以外では、時間拘束と空間移動のコスト差が。手紙とそれ以外では時間拘束のコスト差があります。

 では、メールとブログではどうでしょう?

この場合には、「そのコミュニケーションを相手が受け取るためのコストが小さいほど丁寧」という一般原則②で理解できます。ブログにお祝いメッセージを書いた場合には、いちいち相手がそのブログのURLを見なければならないわけで、それは心理的・時間的には超高コストです。普通なら。だから、個人的関係においてメールすべき内容をブログで伝えるのは「相手に高コストを負担させる行為」として失礼なのです。けれども今回は、森内名人がブログのファンで、ブログを読むことが高コストではありません。

 そうすると、一般原則①が際立ってきます。「ひとりが読むためのメールを書く」ことと、「多くの人に読んでもらえるようなエントリを書く」こと。どちらが書くのにコストがかかるでしょうか。

 chikirinさんは「おめでとう」の一行、あるいは何行か文字を連ねたメールをしても良かったのですが、「写真や図や発言引用」を多用した手の込んだエントリにしました。そのことに思い当たった僕は、このお祝いエントリを見た森内名人の心境を想像して、ちょっと感動してしまったのです。あくまでも、まだ、「ちょっと」ですが。

 

f:id:Rlee1984:20131205105544j:image

 (ブログvsメールに限らず、この一般原則①と②の兼ね合いで、つまり「自分のコストは大きく、相手のコストは小さく」のバランスで、丁寧さは決まります。上記で挙げた古い一般常識を正しく言い直せば。対面の方がメールよりも「送信側にとって高コスト」なので丁寧な場合が多いけれど、対面は「受信側にとっても高コスト」なので、メールの方が対面よりも丁寧になる場合もあります。ここを勘違いしたコミュニケーション上の齟齬は多くみかけますし、僕もそれで失敗したことがあります)

 

けれども、僕が本当に感動したのは、chikirinさんの「(本当の意味での)丁寧さ」ではありません。

むしろ、そんなのは些末なことです。

 

★★★★

4 相手を(本当の意味で)喜ばせる、それでいて自分の目的を達成する、妙手!

森内名人は、chikirinさんの将棋の練習を「手伝う」ほど、chikirinさんに将棋を覚えてほしいと願っています。そしてchikirinさんは、将棋の練習をすると「約束した」から練習をしているわけですが、きっと「他に優先してやりたいことがある」のでしょう、「将棋の練習はあまり進んでない」状態です。

 なんだか、「宿題を出されたのにあまり宿題を進めずにゲームしちゃった子ども」みたいで、かわいいchikirinさん。

 そしてchikirinさんは、先に引用したように、そのことをブログで告白してしまうのです。それを読んだ僕は、少し笑いながらも、「あわわわ、練習もしてないって、失礼じゃないの?」と思ったのです。一瞬。

 けれども、よくよく考えてみると…

 森内名人の「chikirinさんに将棋を覚えてほしい」という思いは、「個人的にファンであるchikirinさんだけに将棋を覚えてほしい」というものなのでしょうか? もちろん違うでしょう。森内名人はきっと、「多くの人に将棋を覚えてほしい。将棋の楽しさを知ってほしい」と考えておられるでしょうし、「chikirinさんにも将棋を覚えてほしいし、chikirinさんやそのブログを通じて多くの人に将棋を覚えてもらえたら、もっと嬉しい」と考えておられるのではないでしょうか。

 そうやって想像してみると、chikirinさんが「森内名人1人が見るメール」でなく、「何万人もの人が見るブログ」にお祝いメッセージを書いたことの意図が見えます。

 たしかにchikirinさん1人の練習は進んでいないかもしれません。そのことを森内名人は「あまり嬉しく思わない」かもしれない。けれども、お祝いメッセージを面白く読めるブログエントリにすることによって多くの人が将棋に興味を持つならば、森内名人は「もっと嬉しい」はずです。

f:id:Rlee1984:20131203043545j:image

  chikirinさんが、相手の目的に深いレベルで対応してコミュニケーションしているのだと分かります。それでいて、

 

明日からは私も心を入れ替え、将棋の練習にももうちょっと熱心に、

 

あっ!

 

いま思い出したんですけど明日はちょっと忙しいんですよね。なので、心を入れ替えるのは明後日からってことで・・

 

と、冗談めかしてchikirinさん自身の思いをやんわり伝えるという「自分の目的」も達成しています。(将棋の練習を楽しんでいるchikirinさんの様子を見て、解釈を訂正12/01/15:50。)と、冗談めかして書くことで、chikirinさん自身の目的でもあると考えられる「楽しく面白いブログを書く」ことを達成されているように思えるのです。

 

そのことを理解して、これってものすごくハイレベルなコミュニケーション術だな、と思って、僕はトリハダが立ったのです。

あまり良いたとえではないかもしれないですが、、

先生から「この小説の感想文を書きなさい」と宿題を出された生徒が、「ゲームしてて忙しいから感想文は書いてないけど、ゲームを題材にした小説なら書きました」と言った

みたいなもんだな、と思ったのです。

 自分のしたいこと(目的)を達成しつつ、なおかつ相手がしてほしいこと(目的)を、ひとつ高いレベルで達成する。

 マジすげーーー。

「お祝いメールをしないで、ブログにエントリを書く」。

そのメディア選択のセンス! まさに『妙手』だと思ったのです。一見すると悪い手に見えるけれど、実はかなり読みの深い手。

 これ失礼じゃないかな?と一瞬でも思った自分のコミュ障っぷりに残念な思いがするばかりなのですが、こういうセンスある人のコミュニケーションをネット上で見られることにありがたさを感じます。

 棋士がセンスある棋士の棋譜を並べて練習するように、コミュニケーションの棋譜としてchikirinの日記を読んでみる。そうすると、各種インタビューや、いろんな方とのやりとりから学べるものが多いはずです。(多かったです。)

 

★★★★

5 今回学んだことのまとめ 

・古い常識に沿ったメディア選択ではなく、状況に応じた本質的な選択をする

・本質①自他のコミュニケーションのコスト(費用)を勘案した「丁寧さ」

・本質②自他のコミュニケーションのリターン(目的)を勘案した「サービス」

・本質③リターン(目的)には色んなレベルがあり、「目的の芯」を捉えるのが大切

 

 なお、chikirinさんが「ブログに書く」というメディア選択が可能だったは、chikirinの日記が「日本で有数の人気ブログ」だったことが背景にあります。このブログのような、「読んでくれる友達もいない人間が開始して数日のブログ」に書くのとはわけが違います。

 そして、奇しくもchikirinの日記の裏側として発売された電子本「chikirinの日記の育て方」で、chikirinさんが「自分のメディアを持つこと」を目標としてブログ運営されていたことが分かるようです。

 →新刊のお知らせ) ちきりん初のキンドル・ダイレクト出版 - Chikirinの日記

ここから、chikirinさんの「お祝いメールでなく、お祝いエントリ」というメディア選択は、目標を持って長年かけて培ってきた結果としての「当然の選択だ」と理解できるハズです。

 

なお、僕は電子本をまだ買っていません。慢性的に超金欠なので。

すみません; 

明日からは心を入れ替え、ちゃんとchikirin電子本を読んでからブログのエントリを書くことに、

あっ!

いま思い出したんですけど、明日もお金ないんですよね。

なので、心を入れ替えるのは明後日からってことで、、、

 

^^/

 

★★★★

追記。chikirinさんご本人からコメントを頂きました。すっごく嬉しい!

①chikirinさんは、いま楽しく将棋の練習をされているようで、若干の裏読みというか深読みがあったかも、と思って一部を訂正しました。

②あとは全般的に、ご自身で「その通りだ、そう考えていた」などと言うはずのない不粋な解説なので、ご謙遜されているんだと思います。もしくは本当に、「深くは考えずに」こういうメディア選択をされたのかもしれませんが、それは深く考えずともコミュニケーション上の妙手を打てるセンスをお持ちだからでしょう。勉強になります!

 

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