彼氏は日本人。彼女はフランス人。

日本人とフランス人の国際カップルの記録

あいちトリエンナーレ企画アドバイザー東浩紀さんの謝罪全文

2019年8月7日午後2:03〜2:12の間に投稿された東浩紀さんの謝罪tweetのスレッドです。
東浩紀さんのTwitterは鍵アカウントだけれど転載可、とのことなので転載します。

以下、スレッド全文

7月末からの休暇が終わり、帰国しました。休暇中に、ぼくが「企画アドバイザー」を務めるあいちトリエンナーレ(以下あいトリ)で、大きな問題が起きました。

このアカウントは、7月の参院選直後に、あいトリの問題とはべつの理由で鍵をかけていたものであり、これからもしばらくは鍵は外しません。しかし、このスレッドについては、転記し紹介していただいて結構です。そのときは、一部を切り取らず全体をご紹介ください。

ぼくの肩書きは「企画アドバイザー」となっていますが、実行委員会から委嘱された業務は、芸術監督のいわば相談役です。業務は監督個人との面談やメールのやりとりがおもで、キュレイター会議には数回しか出席しておらず、作家の選定にも関わっていません。

けれども、問題となった「表現の不自由展・その後」については、慰安婦像のモデルとなった作品が展示されること、天皇制を主題とした作品が展示されることについて、ともに事前に知らされており、問題の発生を予想できる立場にいました。相談役として役割を果たすことができず、責任を痛感しています。

僕は7月末より国外に出ており、騒動の起点になった展示を見ていません。今後も見る機会はなくなってしまいましたが、そのうえで、展示について所感を述べておきます。以下はあくまでも僕個人の、報道や間接情報に基づく意見であり、事務局や監督の考えを代弁するものではないことにご留意ください。

まずは慰安婦像について。いま日韓はたいへんな外交的困難を抱えています。けれども、そのようないまだからこそ、焦点のひとつである慰安婦像に、政治的意味とはべつに芸術的価値もあると提示することには、成功すれば、国際美術展として大きな意義があったと思います。

政治はひとを友と敵に分けるものだといわれます。たしかにそのような側面があります。けれども、人間は政治だけで生きているわけではありません。それを気付かせるのも芸術の役割のひとつです。あいトリがそのような場になる可能性はありました。

ただ、その役割が機能するためには、展示が政治的な扇動にたやすく利用されないように、情報公開や会場設計を含め、もっとていねいな準備と説明が必要だったように思います。その点について、十分な予測ができなかったことを、深く反省しています。

つぎに天皇の肖像を用いた作品について。ぼくは天皇制に反対する立場ではありません。皇室に敬愛の念を抱く多くの人々の感情は、尊重されるべきだと考えます。天皇制と日本文化の分かち難い関係を思えば、ぼく自身がその文化を継承し仕事をしている以上、それを軽々に否定することはできません。

けれども、同時に、「天皇制を批判し否定する人々」の存在を否定し、彼らから表現の場を奪うことも、してはならないと考えます。人々の考えは多様です。できるだけ幅広い多様性を許容できることが、国家の成熟の証です。市民に多様な声の存在に気づいてもらうことは、公共事業の重要な役割です。

しかし、これについても、報道を見るかぎり、その役割を果たすためには、今回の設営はあまりに説明不足であり、皇室を敬愛する多くの人々の感情に対して配慮を欠いていたと感じています。この点についても、役割を果たせなかったことを悔いています。

政治が友と敵を分けるものだとすれば、芸術は友と敵を繋ぐものです。すぐれた作品は、友と敵の対立などどうでもよいものに変えてしまいます。これはどちらがすぐれているということではなく、それが政治と芸術のそれぞれの役割だと考えます。

にもかかわらず、今回の事件においては、芸術こそが友と敵を作り出してしまいました。そしてその対立は、いま、どんどん細かく、深くなっています。それはたいへん心痛む光景であり、また、私たちの社会をますます弱く貧しくするものです。それは、あいトリがもっともしてはならなかったことです。

僕は今回、アドバイザーとして十分な仕事ができませんでした。辞任を検討しましたが、いまは混乱を深めるだけだと考えなおしました。かわりに個人的なけじめとして、今年度の委嘱料辞退の申し出をさせていただきました。今後も微力ながらあいトリの成功に向けて協力させていただければと考えています。

あらためて、このたびは申し訳ありませんでした。力不足を反省しています。そして最後になりましたが、現在拡散されている4月の芸術監督との対談動画において、多くの方々の感情を害する発言を行ってしまったことを、深くお詫びいたします。

感想

上記に転載した内容を、このブログを管理している Lee Ryo は支持します。
私の立場
父が在日韓国人2世で、母が日本人で、妻がフランス人で、いまは日本に住んでいます。
日本の平和が続いて欲しいし、自由で平等で友愛にあふれた国であって欲しいと思います。

わざと電気を暗くする? フランスのスーパーが行う施策の意外な理由

フランスのあるスーパーマーケットが、話題になっています。
そのスーパーマーケットでは、わざと電気を暗くしているそうです。

その理由が、自閉症のひとのため。


自閉症といっても色んな人がいます。
そのうち、光や音などの外部刺激に対する感覚が繊細な人にとって、
この施策がとても喜ばれているそうです。

私は特に感覚が過敏というわけではなく、
どちらかというと鈍感なくらいです。
それでも日本で暮らしていると、
スーパーではいつもたくさんの音に囲まれて、
ちょっと面倒くさいなと感じることもあります。

入口近くの焼き芋コーナーでは呼び込み君。
「ポポポポポ~ポポポポポ~♪」
www.youtube.com

精肉コーナーではお肉スキスキ。
「おっ肉~!! お肉好き好き! お腹すきすき♪」
www.youtube.com

鮮魚コーナーではおさかな天国
「さかなさかなさかな~♪」
www.youtube.com

耳にこびりつくこれらの曲で、楽しくなることもあるけれど、
うるさいなーと感じてしまうこともある。

そう考えると、今まで気が付いていなかったけれど、
もし音に敏感な人だったらスーパーに行くのは大変だろうな、
と想像してしまいます。

そのフランスのスーパーでの「音と光を控える」施策は、週に1度。
火曜日の2時間だけの取り組みだそうです。

日時を決めたそれくらいの取り組みなら、迷惑に思うひとも少ないだろうし、
音や光に敏感な人にとっては、その日時に行けるだけでもすごくありがたいことなんだろうな。

日本でも、どこかのコンビニやスーパーで取り入れてみたらどうでしょう?
他店との差別化の施策として、けっこう良いのかもしれないと思うんだけど。

多様性に配慮するちょっとした取り組みが、(今回は文字通り)マーケットから生まれた。
そういうのって資本主義の良いところだなーと感じます。

うちの近くでそういう取り組みやっているスーパーがあれば、応援しに行っちゃうのだけれど。
もしかしたら、もうやっている所もあるのかもしれないけれど、
増えてほしいな、って思ったので、記事にしました。

ゆりやんレトリィバァのAmerica’s Got Talentでのパフォーマンスと全訳と感想

日本のコメディエンヌ、ゆりやんレトリィバァ(28)。
彼女がアメリカのオーディション番組「America’s got Talent」(NBC)に出演した動画が番組のTwitterアカウントで公開され(6月12日)、日本で話題になっています。
youtu.be

(書き起こし全訳は記事最下部に置きます。)

日本での感想

過去にもAmerica’s Got Talentに出演した日本人パフォーマーはいたけれど、純粋にトークで観客を沸かせた人は出ていません。
その意味で、日本のお笑いの可能性を見た、とする感想があります。
news.yahoo.co.jp

同じ日本人として誇らしい気持ちにすらなる出演シーンでした。
〜略〜
今回のゆりやんさん出演の大反響から改めて感じるのは、やはり日本のお笑いも海外で通用する可能性が十分ある

けれど、このパフォーマンスから「日本のお笑いが世界に通用するかも!?」という風に考えるのは危ういというか、むしろ時代錯誤ではないかと感じる部分があったため、この記事を書いています。

ハラスメントでもあるジョーク

たしかに、モテそうにない女性が、自信満々に男性をホテルに誘ったりハグ強制を続けたりという逆セクハラを行うジョークは、日本のテレビバラエティで多くの女性芸人が培ってきた「日本のお笑い」だろうと私も思います。

でも、それがジョークとして成立しているのは、日本に強く残る男尊女卑と行き過ぎたルキズムが文化的背景としてあるからだと私は考えます。
今回のパフォーマンスで男女の性別を逆にしてみれば明らかです。
モテそうにない男性が、自信満々に女性をホテルに誘い、ハグを強制する。それが、果たしてジョークとして通用するでしょうか?

ハラスメントとジョークの境界は、いつも曖昧です。

America’s Got Talentでの反応としても、彼女のジョークで笑っていた審査員や観客もいたかもしれませんが、逆に、それに対して眉をひそめていた審査員や観客もいました。それは、動画を見れば明らかな事実です。

MeTooの発祥地であるアメリカも、それを後追いしている日本も、まだ男性から女性への性的差別が残っているからこそ、女性から男性へのセクハラが「男性権力に反逆する」という意味でジョークとして許容され、ハラスメントと受け取られずにすむ余地があるのだと思います。真の平等社会においては、彼女のセクハラジョークは単なるセクハラに過ぎません。

そのため、このような逆セクハラジョークが「世界に通用する・今後も広まっていく」と考えるのは、やっぱり変だと思うのです。
むしろ、近年の日本で発達してきたこのような逆セクハラジョークは、今後は根絶される方向に世界は進歩すべきだし、そうなっていくはずだと私は信じています。

もちろん、母語ではない言語で異なる文化の中で堂々とパフォーマンスを行い、少なくとも1人の審査員からは絶賛を受けたゆりあんさんは凄いと思うし、それを貶す意図は一切ありません。
また、日本の女性芸人が見出した現在のセクハラジョーク自体を貶めるつもりもありません。
どういうことか。

セクハラジョークの意味と時代的変遷

日本のテレビバラエティの中でも、「男性から女性へのセクハラ」「男性からLGBTQ+へのセクハラ」が明確に存在していた時代があります。
私が子どもだった1990年代。
とんねるず石橋貴明が、松嶋菜々子に性行為中の膣から発される空気音について発言させる
ダウンタウン浜田雅功が、YOUや篠原涼子に後ろから抱きついて腰を振り性行為を思わせるジェスチャーをする
志村けんが、バカ殿様の中で女性の裸を見る・触る
とんねるず石橋貴明が、保毛尾田保毛男というゲイへの偏見を利用し見下すキャラクターで人気となる
枚挙にいとまがないほど、日本のテレビは権力男性からのセクハラジョークに溢れていました。

2010年代、それらが徐々に減っていき、かわりに増えたのが「女性から男性へのセクハラ」「LGBTQ+から男性へのセクハラ」です。
・女性芸人(大久保佳代子森三中大島美幸、バービー、他多数)が男性芸人や男性芸能人の身体をさわる、抱きつく、キスする
・マツコデラックスが男性芸人や男性芸能人の身体をさわる、抱きつく、キスする

00年代、私はあまりテレビバラエティを見ていないので詳しく分かりませんが、おそらく次のような文脈でこの変化は起きているのだろうと考えます。

かつて男尊女卑が幅を利かせていた時代には、男性から女性へのセクハラがジョークとして流通していました。
けれど、権力のある男性側からのそれは「強者→弱者」への単なるハラスメントであるという側面が社会的コンセンサスを獲得していく中、衰退。
それに代わって、権力のないモテない女性・LGBTQ+側が行うセクハラは「弱者→強者」へのジョークとして受け取られる側面が大きく、隆盛。

ハラスメント度合いは、相手が拒否できない弱い立場にあることで強くなり、
ジョーク度合いは、相手が拒否できる強い立場にあることで強くなる。

そのため、女性・LGBTQ+側が行うセクハラジョークは、「男性という権力強者」に対する一種の異議申し立てとしての意味を持っていたのだろうと思いますし、その意味で多くの女性芸人やマツコデラックスらオネエタレントが行ってきたそれらを、各男性へのセクハラだったと安易に切り捨てるつもりはありません。

それは社会が平等になる過程で経る通過儀礼のような、必要悪のようなものだったと私は考えます。

けれど私は、それらはもう過去のものになるべきだと考えています。
そして、おそらく多くの女性芸人やマツコデラックスも、同じように考えているのではないかと私は思います。

すでにマツコデラックスは、男性へのセクハラジョークの頻度をかなり減らしてきているように思いますし、女性芸人も、そのセクハラジョークを例えば「ビジネスキス」のように呼称し、少しずつ距離を取ろうとしているように思います。

異議申し立ての告発としてセクハラジョークを利用する時代は、もう終わりにきています。
本当の意味での平等社会では、それは単なるハラスメントに過ぎないからです。

セクハラジョークはなくなった方が良いと私が考えるもう一つの理由

セクハラジョークはなくなった方が良い。
私がそう考えるのには、もう一つの理由があります。

セクハラジョークは、「された側が嫌がっている様子」を見て楽しむということに大きな特徴があります。
そのため、今回のゆりやんもそうですが、女性芸人やLGBTQ+のセクハラジョークを行う側が性的魅力に乏しい(とみなされる共通認識がある)ことが必須となっています。
もしサイモンをホテルに誘ったり抱きついたのがジュリアンのような美人であれば、それがジョークとして成立しづらいことを考えれば明らかです。

ここには、もう一つの無くすべき偏見である「ルキズム」が大きく横たわっていると私は考えます。

もちろん、現状はびこるルキズムでは弱者とされるブサイク・デブと称されることもあるようなゆりあんさんが、そのルキズムを利用して笑いに変えることでファンを獲得するという意味で、これもまた単純に否定すれば良いという種類のものではないとは思います。
それでも、テレビによる動画時代が始まってから、インターネットによる画像・動画の共有難易度の低下により更に「視覚優位」な世界になってきた中で、性的魅力をルックス(視覚)だけで推し量る価値観の隆盛が、このセクハラジョークがジョークとして成立してしまう背景にはあります。

そして、それをジョークとして成立させてしまうことこそが、そのルキズムを助長してしまう残念な結果を招いていると思っています。

私は、現在のルキズムの隆盛は、決して人類にとって良いものではないように思っています。

とはいえ繰り返しになりますが、私はこれらのパフォーマンスを行ったゆりやんさんを貶めるつもりはありません。
最後に、そのことについて詳しく補足します。

今回の笑いの取り方についての感想詳細

ゆりやんさんについては、全体的に「置かれたポジションへの見られ方を意識的に利用する」という意味でとてもクレバーな戦い方をしているように思いました。
パフォーマンス自体ではなく、その前後のトークが笑いにつながったシーン3つについて、説明します。

そのうち2つは、上記にも挙げた「ホテルに誘う・ハグを強制する」という部分です。
これは、パフォーマーと審査員という権力の上下関係があることが、女性から男性へという部分にプラスしてハラスメント度合いが弱まり、笑いやすい構造になっていました。そのため、ハラスメントだと受け取った人もそこまで多く出ずに済んだだろうと思います。

また、一番最初に彼女が笑いを取ったレトリィバァという芸名の由来が犬ではなく猫にある、という部分。

ゆりやん:はい、ゆりやんレトリィバァは私のステージネームです。
サイモン:どうやってそんな名前思いついたの?
ゆりやん:えっと、ペットを飼ってるんですが、レトリーバーって知ってます?
サイモン:もちろん。
ゆりやんゴールデンレトリーバー。それで私、ネコを飼ってるんです。
会場:(笑い)
ホーウィー:? ネコを飼ってるなら、レトリーバーとなんの関係があるの?
ゆりやん:ネコの名前がレトリーバーなんです。
審査員:オーウ
会場:(歓声)

ここについても、「レトリーバーって知ってます?」と当たり前のことを聞くことで、観客や審査員からすると「そのくらい当然知ってるけど、この日本人だいじょうぶかな?英語がうまく扱えないのだろうか?」という不安を少し植えつけたあとに、「それで私、ネコを飼ってるんです」と言うことで、「やっぱり変ねこの日本人、犬の間違いじゃないの?笑」というバカを見る目で笑われたあとに「ネコの名前がレトリーバーだ」とオチをつけることで、「なんだそういうことね、ちゃんと通じる話ができるじゃない、面白いわ」と評価を反転させることで歓声を得ています。
つまり、たどたどしい英語を話す日本人(外国人)であることを上手く利用しているのだと感じました。
もし彼女が流暢に話していたとしたら、ここではそんなにオチていなかっただろうと私は思います。

それも含めて、どのジョークも「外国人としての自分」「デブでブスな自分」「女性としての自分」という見られ方を意識的に利用したもので、その意味でとてもクレバーだと思ったのでした。
どの観点でも、彼女にとってアウェイな環境であることを逆用することに長けているのだと分かります。

次の記事にあるように、「あらかじめ通訳や現地の人と練習した」と話していることからも、それはうかがえます。

jisin.jp

なお、「ダンサーだ」と自己紹介することで、笑いのハードルを下げることが出来たからこそレトリーバーの件がよりウケたという側面はあるにせよ、そのせいで「ダンスの巧さ」を審査基準にした審査員もいただろうし、彼女の全部のパフォーマンスがジョークなのだと受け取るまでに時間がかかった観客や審査員もいただろうとは思います。

厳しい判断を下した審査員や観客が、ダンサーなのに変なことやってる痛い人だと思ったのか、それともジョークだと理解できた上でセクハラなりルキズムなりの問題のために笑えないわと思ったのか、動画だけでは判別不可能な部分はあるにせよ、正々堂々と「日本ではコメディエンヌをやっています」と自己紹介した方が良かったのではないかとは思います。
そうしていれば、もう少し全体が見やすくなったと思うからです。

とはいえ、言うはやすく行うは難し。
度胸と野心あふれるクレバーなパフォーマンスを行った彼女に、賞賛を惜しみません。

できることなら日本のテレビバラエティ(日本社会)が、彼女がセクハラ以外のジョークをより研鑽できる環境になっていくことを望みます。

動画出演部分

以下、全訳。
(見た人は飛ばして大丈夫です)

ホーウィー:今晩は。君の名前は?
ゆりやんゆりやんレトリィバァです。日本から来ました。
ホーウィー:ワオ、ならAmerica’s Got Talentに出るために飛んできたの?
ゆりやん:はい。
ホーウィー:日本ではどんな仕事をしてるの?
ゆりやんパフォーマーとダンサーです。
ホーウィー:それで日本で食べていけてるの?
ゆりやん:ちょっとだけ。
会場:(笑い)
ジュリアン:(不満気に)それがダンサーの人生よね
サイモン:ひとつ質問なんだけど、これは君のステージネーム?
ゆりやん:はい、ゆりやんレトリィバァは私のステージネームです。
サイモン:どうやってそんな名前思いついたの?
ゆりやん:えっと、ペットを飼ってるんですが、レトリーバーって知ってます?
サイモン:もちろん。
ゆりやんゴールデンレトリーバー。それで私、ネコを飼ってるんです。
会場:(笑い)
ホーウィー:? ネコを飼ってるなら、レトリーバーとなんの関係があるの?
ゆりやん:ネコの名前がレトリーバーなんです。
審査員:オーウ
会場:(歓声)
ホーウィー:ぼくらの知ってる人で、君をたとえるとすれば誰に似てる?
ゆりやん:私には尊敬してる人が世界で3人だけいるんです。
審査員:うん
ゆりやん:私のママ、パパ。 
サイモン:そして…?(自分の名前を挙げると思って笑顔で促す)
ゆりやん:そして。ジュリアン。
会場:(歓声)
ジュリアン:ワー!
サイモン:(ブザーNOボタンを押す)
会場:(笑い)
ゆりやん:オー!サイモンごめんなさい!笑
ジュリアン:私はあなたのスタイル好きだし、良いテイストよ。
ゆりやん:ありがとう
サイモン:間違って押しちゃったんだ。頑張って。
ゆりやん:ありがとう、どうも

ゆりやんのパフォーマンスが始まる〜
ゆりやん:(おもむろに後ろを向き、少し振り返って会場をセクシーな目で一瞥したあと、ズボンを脱いで下半身を露出させる)
会場:(悲鳴・歓声・笑い)
ゆりやん:(パーカーも脱ぎ、前に出てアメリカ国旗をあしらった衣装を見せる)
会場:(歓声・笑い)
ゆりやん:(ポーズをとる)
〜BGMが鳴り始める〜
ゆりやん:(ダンスを始める)
ゆりやん:(珍妙なダンスをしながら、休符に合わせて鼻息させて力むポーズをとる)
会場:(大笑いする男性客、顔をしかめる女性客、などが映される)
サイモン:(NOブザーボタンを押す)
ジュリアン:(NOブザーボタンを押す)
ゆりやんのパフォーマンスが終わる〜

サイモン:一体あれはなんだったんだ!?
ホーウィー:ジュアリアン、君はブザーを押したね。彼女のダンス全てが君にインスパイアされていたにも関わらず。
ジュリアン:私の責任ね。 
サイモン:世界への君からのギフトだぞ。
りあん:ジュリアン、あなたのようになりたいんです。なのにあなたはブザーを押した、ブザーを。 
ジュリアン:私は振り付けをすぐに覚えちゃったから、もうちょっと観ていたいんだけど…もういいわ。 
りあん:(残念そうに)あ〜
サイモン:あれはボクたちでもやれると言ってもいいと思うんだけど。 
りあん:そんなことないです。 
ホーウィー:サイモン、君も同じ髪型だよね。
サイモン:ありがとう、ホーウィー。
りあん:サイモンお願い、あなたはとてもキュートよ。 
サイモン:今さら機嫌をとっても手遅れだよ。 
りあん:お願いサイモン。 
サイモン:なら友達になろう。 
りあん:あぁ、OK…、えっと…、シェラトンホテル、3、1、2… 
会場:(歓声・笑い)
サイモン:OK、OK、ガブリエル、頼む。 
ガブリエル:あなたの両面テープがなんなのか知りたいわ、だって…とれちゃいそうでしょ! 
ホーウィー:投票を始めよう、まずはぼくから。ぼくはすごく気に入っただよ、YES! 
ガブリエル:レトリィバァごめんなさい、私はNOよ。 
りあん:なんでー、理由が分からないわ。 
ジュアリアン:OK、私ね、私は楽し、
ホーウィー:YESだってさ! 
ジュアリアン:違う違う違う。 
ホーウィー:YESだって!これでYESが2票、サイモンは? 
サイモン:ボクにはやってもいいなってことがあるんだ。君のダンスレッスン代をボクがジュリアンに払ってもいい。 
ジュリアン:喜んでやるわよ。 
りあん:ほんとですか? 
サイモン:でもNOだから、お疲れ、バイバイ。 
りあん:ごめんなさい、なんでNOって言うのか分からないわ。OK、そっち行かせて。
りあん:(ステージを降りて審査員席の前に移動して)
りあん:OK、じゃあ、教えて。なんでNOって言うの? 
りあん:(ゴールデンブザーボタンを肘で押しながら)教えて。
観客:ワー
りあん:(ボタンが効かないようなので)あら!?
サイモン:残念だけどゴールデンブザーは効かないよ。 
りあん:オー。
観客:(笑い)
テリー:他の候補者の時間だ。 
りあん:OK、バーイ。

このあと、観客のいるオーディション会場から控え室に場面は移り、サイモンが要求したジュリアンに対するゆりあんのダンスレッスンの模様が映し出されます。
ひと通りジュリアンへのレッスンが終わったあと、各審査員とハグしていくゆりあんですが、サイモンとのハグを一向に終えようとしません。
「ぼくたち、もう行かなきゃ。みんな、行こう」とホーウィー。
りあんに抱きつかれたまま取り残されるサイモンが「いますぐ止めろ」と言う姿に、「いまや彼女はボーイフレンド持ちだね」と投げかけて去り行くホーウィー。「ありがとう」とサイモンに抱きつき続けるゆりあんを映して彼女の出演シーンは締めくくられます。

引き算がクソ難しい

昨日、ある人類がフラれたということで、酒宴に招かれました。
その人類は、友人だったからです。

そこで、恋愛の問題に取り組むことになりました。

結論として、引き算がクソ難しい、という考えが自分の中で生まれたので、書きます。
*1

歴史

ある人類には、好きな人類がいます。
仮に人類A、人類Bとします。
ここでいきなり人類の難しさがあります。
人類Aによると、人類Bのことを「好き」ではないかもしれないそうです。
定義が崩れます。

この気持ちは「好き」とか「恋愛感情」とかじゃないかもしれない。
セックスしたいというより手を繋ぎたいとか会いたいとかの方が強いから。

どうやら人類Aは、人類Bへの感情をどう認識すればよいのか分からないようです。
人類Aに分かるのは、人類Bとの関係を大切にしたいということだけ。
僕は思いました。
「人類Aの感情は、性欲の混入率が低く、純度の高い恋愛感情だろう」
そして、思いました。
「人類Aは、人類Bのことが好きなのだ」
*2

定義が維持されたので、問題の続きが開示されます。

また定期的に会ってくれる?と聞いたら、浮かない返事だった。

人類Aは、定期的に人類Bと会うこと提案し、拒否されたそうです。

ただ会いたいだけなのに。
どうしたらいい?

人類Aは、人類Bの内心を尊重したいと考えています。
そうすると人類Aは、人類Bに会えない。
けれども人類Aは、人類Bに会いたい。
それが問題のようでした。

問題

問題を聞いた僕は、
もう少し人類Bの内心を詳しく確認するべきだと思いました。
その内心としては、いくつもの可能性があるだろうと思ったからです。
1:定期的に会うという決め事に縛られるのが嫌なだけで、実態としては頻繁に会っても構わない
2:頻繁に会うというのは望まないけれど、たまに気が向いたときに会うというのなら構わない
3:たまに会うというのも望まない、できれば顔も見たくない
けれども、人類Bの内心が1-3のどれか、人類Aには推測できないようでした。

私のこと、嫌いなのかな?

話を聞いていた僕にも、それは判別できませんでした。
もし顔も見たくないほど嫌われているのだとしても、そうと分かってから会わないようにすれば良いだけで、
ひとまず人類Aとしては、人類Bの内心が1か2であると想定して行動を考えるのが良さそうでした。

そうして人類Aの意思を再確認してみました。
人類Aとしては、人類Bも人類Aに定期的に会いたいと思ってくれるのが理想状態のようです。
これはさすがに恋愛相談でした。

結論と引き算

結論として、人類Aが人類Bと次に会う機会があったときの対応で、
「また人類Aと会いたいな」と好感情を思ってもらえるようにするのが良さそうでした。
その好感情を積み重ねた未来が、可能性です。

私、可能性に賭けてもう少しがんばってみるよ!

けれども人類Aが人類Bのために「がんばる」のは逆効果になる可能性が強く、あまりお勧めできませんでした。
現在、人類Aと人類Bの間に温度差があることには間違いがないからです。
そのため人類Aは、自身の「会いたい」ひいては「相手のために何かしたい」という気持ちと行動を抑える必要があるように思えました。

え。がんばらない方が良いってなに?

人類Bにとって、人類Aとの温度差は圧力差です。
もし人類Aが自身の温度そのままに人類Bに接していれば、
それが人類Bを喜ばせようとがんばったことであったとしても、
人類Bはプレッシャー(圧力)を感じてしまうことになり、
そのプレッシャーはたちまちのうちにストレスとなり、
やがてそのストレスは人類Aへの悪感情へと変貌して人類Bの内心にこびりついてしまいます。

がんばるという足し算をすることでは、今の相手とはイコールにならない。
仮に、足し算で高まりあった人類同士がイコールになる状態を目指したいという気持ちがあったのだとしても、
いまは自分の気持ちや行動に引き算をすることで相手とイーブンになることを目指した方がよい。
ある程度は自分の温度を下げて、相手の温度に合わせないといけないと思いました。

押すだけじゃなく引けみたいな、そんな駆け引きとか、難しすぎるよ

これは駆け引きではなく、相手に合わせることなんだと僕は思いました。
いずれにせよ人類Aは、人類にしては優しい心を持っているように見えるので、
良い学びがあるように思えました。

上記のような流れがあったりなかったりしたわけですが、
実在の会話の中で人類Aが「ためになった」と実際に言ってくれたことが事実としてあり、
それは僕にとってすごく喜ばしいことでした。
人類Aには、良い日々を送ってほしいものです。

昨日のことと今日のこと

昨日の恋愛相談を受けているときのことです。
牛乳石鹸のCMのあれこれについて、僕にも言いたいことあるなあと思って、
偉そうに人類Aの相談に乗りながら、うにょうにょと文章を書いていました。

今日、その文章をこのブログの記事として公開しようとして、記事公開の前にちょっとチェックするかと思って読み返したのですが、8000字もあって長い上にクソつまらなくて、自分でも読む気が失せるという事態に陥りました。

あんだけ偉そうに「相手の温度感に合わせて引き算するのも大事」みたいなことを言っていた昨日の僕ですが、そう言いながら横で書いてた記事がぜんぜん引き算できてなくて読む人の温度感を無視していることを実感したわけです。
牛乳石鹸のCMあれこれについて8000字も読みたいと思う人なんかどこにいるんだよと。
「牛乳石鹸のCMについて、ぼく個人的には「ああ良かったね」という甚だ花花しい感想を持ったのだが」で始まる文章の温度感なんなんだよ!と。

他の人類と向き合うときに、
引き算が必要な場合というのがあると思うのだけれど、
やっぱクソ難しいわ、という結論に達しました。

*3

*1:なお、現実に悪影響を及ぼしたくないので、一部にフィクションを交えて書いています。

*2:けれども、そう思ったことを人類Aに告げることはしませんでした。 これまで僕が見たいくつかの恋愛感情には、 それに「恋」という名前を与えた途端にどんどん膨らんで純度が高くなる、 という事例が観測されていたからです。 ある種の恋愛感情は、自然発酵して純度を高める性質を持っているように思えます。 そして純度の高い恋愛感情は、しばしば人類を酩酊させ正常な判断を失わせます。 けれども人類にとって、恋愛感情に含まれる性欲の度数を見積もり、 自身の酩酊状態を推し量ることは容易ではありません。 そのため、僕は人類Aの感情に対して「君は恋しているんだね」と告げることを差し控えたのです。

*3:なお昨日の酒宴は、光放つディルドーが宙を舞い、やがて天に突き刺さる、という健全なものでした。

スプラトゥーン2のせいで離婚するのは嫌だ

スプラトゥーン「Splatoon」という火種

この家にスプラトゥーンがやってきたのは、約2年前。

もともと、僕には物欲というものがほとんどない。
穴の空いた靴下とパンツを履き、セロハンテープで修理したメガネで、鼻に赤いへこみを作りながら暮らしているような日本人の一種族なのだけれど、そんな僕にとってさえ、そのスプラトゥーンというゲームはあまりにも面白そうに見えた。

だから僕は、10年ぶりにゲームを買うことにした。

幸いなことに、彼女もゲームが好きだ。
彼女は、幼少から「ポケモン」や「どうぶつの森」や「マリオカート」を遊んで育ったようなフランス人の一種族で、それらの生みの親である「Nintendo」は、彼女が来日するきっかけのひとつでもある。そんな彼女にとっても、そのスプラトゥーンというゲームは面白そうに見えた。

だから彼女も、Nintendoが久しぶりに出したこの新しいゲームを買うことにした。

2人は決してお金に余裕がある種族ではないのだが、スプラトゥーン(というソフトと、それを遊ぶためのハードであるWiiU)を買ってみなイカという話はとんとん拍子に進んだのだ。

Splatoon 2 (スプラトゥーン2)

Splatoon 2 (スプラトゥーン2)

そうして僕と彼女は、人間としてインクの弾をぶちまけてはイカとしてインクの海を泳ぐ国籍不明の一種族になった。

あれから2年。
ここに、ひとつの結論がでている。

僕らは6年の同棲生活の中でたくさん喧嘩をしてきたけれど、そのいちばん多くの原因が、このスプラトゥーンだった!!!!!!

スプラトゥーンで喧嘩する一番の理由

スプラトゥーンで喧嘩する一番の理由。
それは、「負けるとムカつく」ことだ。

対人ゲームなので、勝つときもあれば負けるときもある。
さらに、マッチングシステムがしっかりしており、強い人は強い人同士で、強くない人は強くない人同士でマッチングして対戦するようにできているため、全体の0.1%くらいの最上位層と最下位層以外の勝率は、おおむね5割に収束する。
しかも4人対4人のチーム戦なので、自分が活躍しているのに他の人のせいでチームが負けたように思えて憤るようなことも多々ある。
E-A-R plugs

当たり前のことだけれど、
負ければムカつく。
ストレスが溜まる。
でも、面白いからやめられない。
でも、負けるとやっぱりムカつく。
でも、面白いから勝つまでやりたい。
それなのにまた負けると、もうかなりムカつく。

ところで、勝率が5割で6戦すれば、その中で3連勝か3連敗をする確率は約6割。
勝率が5割で11戦すれば、その中で4連勝か4連敗をする確率は約5割。
コインを何回も投げると案外、同じ面が連続する - Yahoo!知恵袋

スプラトゥーンでは1試合5分ほどの短い試合を何試合も続けて楽しむので、ちょっと遊ぼうと思うと平気で1時間ちょっと経ってしまい、10試合ほどインクにまみれることになる。

つまり、そうして1時間ほど遊んだうちの半分は、運の偏りによって4連勝か4連敗くらいしてしまうのだ。

僕らは2人で交代しながらゲームしているので、1人がプレイしているときに、もう1人はそのプレイを見て楽しんでいる。
そこで、喧嘩が起きる。

「あ、そっちボム見えたから危ないよ」見ている方が、言う。
もし負けが続いてストレスが溜まっているときなら、その一言で喧嘩になる。
「うるさいなあ。分かってたよ!余計なこと言ってくるせいで死んだ!」
「文句じゃなく親切で言ってるだけなのに、そんなに怒らなくていいでしょ!」
「いや、いちいち言わなくていいから!」

こんなことで喧嘩するなんて馬鹿らしい、と思うかもしれない。
僕も書いていて馬鹿らしいなと思うのだけれど、本当にそれで喧嘩になってしまう。

見ている方が何も言わなくても、雰囲気が悪くなって、喧嘩になる。
でも、スプラトゥーンはやめられない。

面白いから。
これは一種の中毒だなあと思うくらいに。

これまでに色んな喧嘩をしたけれど、数としていちばん多かったのは、スプラトゥーンで負けが込んでいたときに起きた。

Splatoon2 (スプラトゥーン2)|オンラインコード版

Splatoon2 (スプラトゥーン2)|オンラインコード版

2017/7/21。
そんなスプラトゥーンの新作が出た。
当然、僕らも購入することにした。

スプラトゥーンというゲームは、面白すぎた。

そのせいでまた喧嘩してしまうかもしれないだろうけれど。
もし同棲生活が破綻して離婚することになったとしたら、そのいちばんの原因として挙げられてしまうかもしれないだろうけれど。

スプラトゥーン2のせいで離婚するのは嫌だ

そうして予約購入しておいたスプラトゥーン2をこのほど遊んでみた。
その感想として思ったのは、「超面白い!」ということと、「これなら離婚せずに遊べる!」ということ。

理由は、「負けるストレスを減らすための配慮の進化」を随所に感じたからだ。

1、音楽
まず、負けたときの音楽。
スプラトゥーン1に比べて、負けたときの音楽が、そこまでネガティブな雰囲気ではない。僕は音楽に詳しいわけではないけれど、1ではもう少し低い暗い音だったのが、2では高く明るい音になっている。もちろん、勝ったときの音楽に比べるとネガティブな音楽なのだけれど、それでも負けたストレスはだいぶ軽減されたのではと思う。

2、戦績表示
次に、戦績表示の項目。
スプラトゥーン1では、敵をどれだけ倒したかというキル数と、敵にどれだけ倒されたかというデス数が表示されていた。これによって、キルとデスを比べるギスギスした雰囲気があった。負けたとき、チームの中で自分のデスが多いと戦犯のように感じてしまうし、逆に自分のデスが少ないとデスの多い味方に対してムカついてしまう。
スプラトゥーン2では、敵をどれだけ倒したかというキル数と、自分がどれだけスペシャルウェポンを使ったかというスペシャル数が表示されている。デスしてしまうとスペシャルウェポンを使うために必要なゲージが減るので、このスペシャル数はデス数と緩やかに結びついてはいる。けれども、その内容が「デス」という後ろ向きでネガティブな項目ではなく「スペシャル」という前向きでポジティブな項目として表現されるのでは、プレイヤーに抱かせる印象やゲームの持つ雰囲気が大きく変わったと感じる。

3、高勝率(高成功率)のモード
最後に、最も大きい進化が「サーモンラン」という新モード。
チーム対抗の対人戦を行う他のモードと違い、チームで協力してコンピュータと戦うこのモードでは、たまにコンピュータに負けてしまうこともあるけれど、勝率(成功率)は5割を大幅に超える。プレイヤーによって変わるのかもしれないが、30戦ほどこなした僕の体感勝率は7-8割近いように感じた。このモードでは、協力して成功することの楽しさを、より多く感じられる。僕はスプラトゥーン1の頃からこういうモードが欲しいなと待ち望んでいた!

このまま僕らが離婚せず幸せに暮らしていけたとしたら、Nintendoには感謝してもしきれない。

追記。
日本では現在、スプラトゥーン2を遊びたくても、そのためのNintendo Switchが品薄状態で手に入りづらい状況が続いている。とはいえ、正規価格より高く売っている転売屋から買うのは嫌だ。
僕らも当初、なかなかNintendo Switchが手に入らずに苦労した。ビックカメラやソフマップに並んで抽選を受けたけれど非当選だったし、入荷がありそうな家電量販店の開店待ちをしてみたがダメだった。折を見てはネット通販の在庫確認をしていた彼女のおかげで、偶然にもアマゾンの在庫が復活したタイミングで購入することができたので、彼女には感謝してもしきれない。
なお、いまもNintendo Switchを手に入れられずにいる人に向けて、比較的に手に入れやすい方法として推奨できるのは、「近所の取扱店の入荷タイミングを聞いてみる」「地方の家電量販店をあたってみる」「海外の知り合いに頼む」だと思う。
そうして手に入れられたら、みんなで一緒に遊ぼう!


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あなたは「沼」を知っているか

「今のは沼だった」と、その人は言う。
僕は、その言葉に引っかかりを感じる。

みんなで楽しく遊ぶゲームを、みんなで楽しく観戦している時だった。
だから、そこであえて言うようなことはしない。
(ちなみにそれは、スプラトゥーンという、イカ人間がローラーで敵を轢き倒す任天堂のシューティングゲームだ)

けれど僕には、引っかかっている。
喉に魚の小骨が引っかかって取れない時のように、耳に言葉が引っかかって上手く飲み込めず、ウニウニして少し気持ちが悪い。
だから、ここに吐き出すことにする。
ここは、耳から掻き出した言葉を書き出す場所だから。

沼の経歴

あなたは、「沼」を知っているか。


沼は、「馬鹿」を意味するスラングとしてよく使われている。
その意味で気軽に使う人は多い。その時も、そうだった。
ただ僕が気になってしまうのは、この言葉の経歴だ。

その大元には、「知的障害:ちてきしょうがい」を略した「知障:ちしょう」という言い方がある。これにわざと別の漢字を当てた「池沼:ちしょうorいけぬま」という呼称があり、それをさらに省して「沼:ぬま」という言い方をしている。

つまり、相手に対して「お前は馬鹿だ」と言う代わりに、「お前は知的障害者だ」と言っていたものが、「お前はちしょうだ」と言うようになり、「お前は池沼だ」と言うようになり、「お前は沼だ」と言うようになって生まれた言葉なのだけれど、一貫して知的障害者を馬鹿にし差別する意識を前提としている。それがために隠語として発展しているのだ。

僕は、母が知的障害者の保助施設で勤務していたこともあって、知的障害を持つ人やその家族とそれなりに関わりがあった。だから、「ちしょう→池沼→沼」これらの言葉に対して、一様に嫌悪感を持っている。

それらの言葉は、知的障害への無知と差別意識の結晶だからだ。

幽霊との付き合い方

とはいえ、言葉の転用は進んでいる。
元は知的障害を指す隠語だとは知らずに使う人も多い。
「馬鹿なことしちゃった、失敗しちゃった」という自虐的な文脈で「沼だった、沼ジャンだった」と軽く言うことに対してまで、いちいち目くじらを立てても仕方がないよね、とも思う。
元の意味を離れ、沼という言葉それ自体で独立し始めているような部分もあるからだ。

言葉には、色んな場面で色んな使われ方がある。
それは、話し手の意図と受け手の解釈の中で揺らぐ幽霊的なものでしかない。

そもそも僕自身が知的障害の関係当事者ではないし、「沼」という言葉に対して嫌悪感を持ってしまうものの、相手の意図を考慮して嫌悪感を希釈するようにする。移ろう言葉に合わせ、僕も移ろいたいと思うから。

でも、もしかしたら、目くじらを立てる人もいるかもしれない。

任天堂や、アオリちゃんホタルちゃんの声優さんに、「おたくのスプラトゥーンというゲームのユーザー、「沼は死ね」「沼ジャン殺す」とかいっぱい言ってるけど、あれ、知的障害への差別を含んだヘイトスピーチだから、そういうの止めるよう呼びかけてくれないか?」と手紙を送るような人もいるかもしれない。
これによく似た案件で、実際にゲーム会社や声優に手紙を送り、その内容・経緯をネット上で公開している人もいるくらいだから。

まとめ

こういう小魚の小骨のような言葉。
引っかかりを感じた気持ち自体はどこかに吐き出すべきだしそうしたいと思うと同時に、小魚から目くじらを出現させてしまうことにも引っかかるものがあるので、そうならないようにしたいよねと、そういうことを、思った。

コミュ力あります!と自称する人が気持ち悪い理由

最近の日本では、コミュニケーション能力(以下、コミュ力)が重要だと言われている。
なぜ企業はコミュニケーション能力を重視するのか、まとめ - フランス女性と同棲中
なぜ若者もコミュニケーション能力を重視するのか、まとめ - フランス女性と同棲中

それに伴ってかどうかは知らないが、自称として「自分はコミュ障です、ひとと話すのが苦手です」という人や、「自分はコミュ力あります、誰とでも話せます」という人がいる。

「自分はコミュ障なんで」

前者の「自分はコミュ障なんで」には、幾つかの意味合いの可能性がある。
僕が解釈する時には、次のどれかだろうと思って脳内翻訳している。

翻訳1:自分なんて大したことないですよ
謙虚を美徳とする日本の文化的価値観を反映した「謙遜」の場合もあれば、

翻訳2:あんま期待しないでくださいね
予め相手の期待値を下げておく「防衛的牽制」の場合もあれば、

翻訳3:会話とか好きじゃないんで、放っておいてください
対人行動にコストを割けない・割きたくない姿勢を示す「攻撃的牽制」の場合もあれば、

翻訳4:会話とか得意じゃないんで、そちらから話ふったりしてもらえると助かります
弱味を見せて関係値を上げつつフォローを期待する「依頼的自己開示」の場合もあれば、

上記の幾つかの目的や意味が複合された場合も多々あるだろうと思う。
https://3.bp.blogspot.com/-VwAw4ECQn3M/Vt_t99XUDnI/AAAAAAAA4rY/RRXAgo1jj_A/s450/pose_aisowarai.png

もちろん、会話中にいちいち「これは牽制だぞ!」のように考えているわけではなくて、なんとなく「この人の場合はどういう意味で言っているのかな」というのを雰囲気でぼんやり感じながら呑気に会話しているわけではあるが、僕は別の文脈から「自分はコミュ障です」という自称が広まることは悪くないと考えている。
コミュ障の輪を広げたい - フランス女性と同棲中

「自分はコミュ力あるんで」

その一方で、後者の「自分はコミュ力あるんで」にも幾つかの意味合いの可能性がある。
この発言をどう捉えているかについて、面白い対比があると僕は感じている。

そもそも謙虚を美徳とする価値観の支配率が高い日本において、就職活動などで自己アピールを迫られる状況を除けば、「コミュ力あります」とアピールをする自称はリスキーだ。
日本では相手の状況や価値観を慮りつつ合わせることを「空気を読む」と称し、この受信的コミュニケーションスキルを重視するからだ。
つまり、「コミュ力あります」という自己アピールは、謙虚を美徳とする日本的価値観を読めていない発言として受け取られ、それは受信的コミュニケーションスキルの低さを示すものとして認識される可能性がある。
「こいつコミュニケーション能力あるとかアピってて草生えるw それ自分から言うことじゃないし、そのことが分かってない時点でコミュ力ないわー。ジョークならまだしも、本気で言ってるとかマジ気持ち悪い」
https://4.bp.blogspot.com/-FIdnilbMT5Y/Vz_xJ7eJwkI/AAAAAAAA6wA/aFLVB93Zpz0ZtkS0hQE3F5cHXVSfATKQgCLcB/s400/pose_shitauchi_woman.png

これが、コミュ力ありますという自称が気持ち悪さを抱かせる理由だと思うのだけれど、では「コミュ力あるんで、いろんな人と話せます」と自称する人はいったい何を考えてそのように発言するのか。

これは僕の想像なのだけれど、海外留学をして帰国した人がこう考えているとする。
「日本では自分から意見を言わないし議論もしない、お互いに空気を読んでいれば済む。でも海外では、相手は自分のことを何も知らない。そこで自分から発言することの大切さを学んだ。自分からアピールして発言することで、チャンスが生まれる。そうして、自分とはバックグラウンドが違う色んな人と話すことができるようになった。以前と比べて(普通の日本人と比べて)自分はコミュニケーション能力が高くなった」
こういう人が、帰国後に「自分コミュ力あるんで」と自称したとすれば、確かにそう言いたいのも分かるなあと僕は思う。
お互いに価値観が違うだろうことを前提として、自身の特性や希望を伝える発信的コミュニケーションスキルを重視するなら、この発言には何もおかしなことはないからだ。
https://3.bp.blogspot.com/-pVRu2sD30IY/VpjCnz2Xh2I/AAAAAAAA3Ec/97uskapD4Lk/s400/pose_peace_sign_man.png

受信主義と発信主義

そういうわけで、僕は次のように考えている。
コミュニケーションには受信的スキルと発信的スキルがあり、どちらを重視するかによって受信主義と発信主義の文化的スタイルがある。それぞれに優劣はないが、目的や状況によって重視されるものが違う。大切なのは、その両者があると知っておくことと(知識)、目的や状況を判断すること(運用)だ。
例えば、日本は受信主義が強めの国だけれど、そうは言っても例えば大阪では発信主義が強くなっていて、とはいえ平均的な大阪人よりは薄いとはいえ日本の平均に比べれば僕自身も発信主義寄りの人間である、とか。
グローバル化によって日本においても発信主義の重要性が増しているため、「読解」という受信系スキルの習得が中心だった義務教育の国語が、発信系スキルの習得を目指すように変わってきている、とか。

受信主義ー発信主義という軸を頭の中に一つ持っておいて、地域や時代に応じてメインポジションが変わっているのを眺めながら、あるべき姿を考えるのは楽しいと思う。

ちなみに

上記も含めてコミュニケーションには色んな種類とスタイルがあるのだし難しいけど面白いよね、と思っている人は、「自分コミュ力あります」とは言わずに、「自分は人と話すのが好きなんですよ」「いろんな人の話を聞くのが好きなんです」のように自称していると思う。
こういう自称する人は、お話がうまくて嘘をついて人を騙すタイプの人も混じっている気がする。あるいは、コミュ障を自称する人の中にも、嘘をついて人を騙すタイプの人が混じっている。
そういう意味では、無邪気に「コミュ力あります!」と言ってしまう人は、嘘つきの可能性は低いのではないかと思う。

振った相手が自殺を仄めかしてストーカー化したらどうするか

同棲中の彼女から聞いた話。
彼女が中学生(15歳)だった頃、オンラインゲームで知り合った23歳の男と交際していたという。
その話が面白かったので、昨日の記事に書いた。

rlee1984.hatenablog.com

実はこの男との話には、少し危険な続きがあったそうだ。

別れ話への対応として、自殺を仄めかす

「その男とはどうなったの?」僕が尋ねると、彼女は言う。
「こっちはそこまで好きじゃなかったし、ただの10代の恋愛なのにしつこいなーと思ってきたから、別れることにした」と。
彼女の家族旅行先まで来て、一緒に泊めてほしいと彼女の祖父母に言ってのけたこの男だったが、その熱心さがあだとなったようだ。たしかに、15歳の彼女にとっては重すぎたのだろう。
別れを切り出した彼女に対して、男はこう言ったという。
「そんなこと言わないで。もし別れるなら、僕は死んでしまう」
そして、自殺を仄めかすメールを送ってきたという。
「…いま、ライト点けずにクルマで走ってる」
彼女は、特に相手にしなかった。

しかし、と言うべきかやはりと言うべきか、その後も男は死ぬことはなかったようだ。

なお、僕が彼女と知り合ったのは、彼女が18歳で来日したときだ。
そのときからずっと、変わらず美しいと感じる。
rlee1984.hatenablog.com
だから相手の男性に少し同情するのは、これだけの美人と別れることになったならさぞかし辛かっただろうということだ。

ネット上でストーカー化…?

その後、彼女はオンラインゲームで別の男(18歳)と仲良くなり、そのゲーム上で一緒に行動することが多くなっていた。
その場面を、同じオンラインゲームの画面端から例の23歳男が見ていたのだという。何度も。
あるとき23歳男は彼女にこう話しかけたそうだ。
「そんなチャラチャラした男とは一緒にいない方がいい」
彼女は無視したという。

偶然と言うべきか分からないが、ストーカー化する人間への対処としては正しかったのだろうと思う。

ストーカーへの対処

交際関係にあるときには、信頼関係に基づいて貸し借りが複雑に入り混じっているものだ。
だから関係を清算するときは、その貸し借りを全て清算して付け入る隙を与えないことが重要ではないか。
その清算と合わせて、明確に拒絶の姿勢を見せる。ここでも付け入る隙を与えないことが重要だろう。
そして、以後は相手の言動に一切反応せず、無視しつづけること。たとえ否定的な反応であれ、何らかの反応は相手にとって餌になる。「好き」の反対は、「嫌い」ではなく「無関心」。

rlee1984.hatenablog.com

しかしまあ、いずれにせよ。
「ヤンデレ」という言葉も生まれるような日本では、恋愛感情に紐づいた陰湿な行為も多いのだろうと思っていたけれど、
フランスでもストーカー化するヤンデレ男性がいて、どの国でも恋愛感情には危険がつきまとうのだなと感じて、面白い話だった。
rlee1984.hatenablog.com

中学生の娘(15歳)の彼氏(23歳)が、家に泊まりに来たらどうする?

なにかのきっかけで、同棲中の彼女から過去の恋愛について聞いた。
フランス人にとっての恋愛は日本人にとっての恋愛と違う部分もあるだろうしなあと予想はしていたけれど、思っていた以上に「日本だとありえないんじゃない?」と感じて面白かったので、ここに書く。読んだ人の感想を教えてくれるとありがたい。

交際のきっかけはインターネット

彼女が中学生だったとき、インターネット上で知り合った男性がいた。
その当時はまっていたオンラインRPGで知り合ったという。
そこでチャットを重ねるうちに仲良くなり、リアルでも会うようになった。
そして15歳だった彼女は、23歳の男から告白されて交際を始めたのだそうだ。

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中学生の娘(15歳)の彼氏(23歳)は両親も公認…?

まあ、それだけなら日本でもありえる話だろう。
青少年保護条例に違反するとして成人側が処罰対象になる場合もあるが、両者合意のもとで表沙汰にならないケースはけっこうある。
大手を振って認められるようなケースではないだけだ。
僕が驚いたのは、その交際相手が彼女の家に遊びに来て、彼女の両親に挨拶もしていたということ。

「中学生の娘(15)に会うため、その彼氏(23)が自分の家に遊びに来ている」ことを、親は了承していたわけだ。
しかも、相手はインターネット上で知り合った男性。

フランスは恋愛を大事にするカップル文化の国。
だから、親としても娘の意思による恋愛を尊重したのだろう、と推測する。

とはいえ、やはり境界線は存在するようだ。
[asin:B01HT1GYWA:detail]

中学生の娘(15歳)の彼氏(23歳)が、泊めてと言ってきたら…?

23歳の男が暮らす街は、15歳の彼女が暮らす街とは離れていた。
だからインターネット上でのチャットが交際のメインだった。
男は彼女にぞっこんだったため、ある週末、遠路はるばる彼女に会いに家まで来た。
そこで彼女の両親にも挨拶をする。
そうして男は彼女の家で彼女と遊び、夕方頃に彼女の親に切り出した。
「今日、泊まっていってもいいですよね?」

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彼女の親は、さすがにそれはダメだと断ったそうだ。
「いや、泊めないよ?ホテル探してね」
「ホテル探すの大変だし、泊めてくれませんか?」
「それは知らない。自分でホテル探して」

そのような会話がなされ、中学生の娘(15歳)の彼氏(23歳)を家に泊めることは認めなかったようだ。
なるほど、そこが境界線なのか。

しかし、その男はかなり彼女に首ったけだったようで、そのくらいでは諦めなかった。

バカンスの家族旅行にもついてくる…?

フランスでは多くの人がバカンスで家族旅行を楽しむ。
彼女の家も例外ではなく、彼女は例年、祖父母とともに南仏の別荘でバカンスを過ごしていた。
その年も、祖父母や弟と南仏に行く15歳の彼女。
交際相手の23歳男は、少しでも長い時間を彼女と一緒に過ごしたかった。
男は、南仏まで来た。

DSC_3031

そうして、彼女の別荘で祖父母に挨拶をする。
日中、一緒に遊び、やはり祖父母に切り出した。
「泊めてくれませんか?」
祖父母は断った。
「近くのキャンプ場でキャンプすれば?」
そうして男はキャンプ場で寝泊まりして、朝になると彼女の別荘にやって来るというバカンスを過ごしたようだ。
なお、当時の彼女は朝もゆっくり寝ていることが多かったため、男は朝に来ても別荘に上がれず家の前で待つことが多かったそうだ。
たいていは子供向けアニメを見るために起きた弟が、別荘の前で待つ姉の交際相手を家に入れてあげて、一緒にテレビを見たりゲームしたりで遊んでいたのだという。
男は彼女のことが大変に気に入っていたようで、祖父母にこんな話もしていたのだという。
「本当に好きだから、結婚したいんです」
この言葉に対して、彼女の祖母はこう返したのだそうだ。
「それはないわ。彼女はまだ15歳、あなたは(彼女の)友達」

親としてどうするか

話として面白かったので、彼女の許可を得て記事にしている。
この話について、「それが一般的なフランス人の感覚かは分からないけれど」と彼女は言う。
僕が受け取った印象としては、この男は(フランスでも)少し変わった男で、彼女の家族の対応は(フランスでは)一般的だろう、という感じ。

日本では、どうなのだろう?

分からないけれど、もし僕に娘ができて交際相手ができたとしたら、やはり家に招いて挨拶できるような関係を作るのが良いなと思った。
最悪なのは、「どうせ交際を認めてくれないでしょ」と思った娘が勝手に出かけて危険な目に遭うことだから。

娘に対しては、誰と交際しようがとやかく言わず、注意を払いながら見守る。
男に対しては、娘と会いたいなら我が家に来させる。直接に会って話もする。
それが一番安全な方法なんだろうなと思うし、その前提として、娘に「こんど彼氏を連れてくるね」と言ってもらえる関係を築けるというのは理想的なのではないかと思った。

ご意見、お待ちしております。

国際恋愛中の僕が「日本人男性もいける」と思う5つの理由

こちらの記事が話題になっているようです。
国際恋愛中のわたしが「日本人男性と付き合いたくない」5つの理由 - AI TIME

まとめると、「ドイツ人と交際している私に言わせれば、日本人男性は繊細すぎて束縛が強い割に交際をオープンにせず愛情表現もしない。総じて恋人を軽んじるので、私は好きじゃない」というもの。
たしかになあと思うところもある反面、日本人男性として付け加えておきたいと思う部分もあったので、書きます。

紹介

僕は現在、フランス人の彼女と日本で同棲しています。

どんな道のりを歩んだかは、
フランス滞在記 カテゴリーの記事一覧 - フランス女性と同棲中漫画フランス人と同棲中 カテゴリーの記事一覧 - フランス女性と同棲中に書いているので、良ければ読んでみてください。

経験としては、日本人女性とは人並みに付き合ったり別れたりして、たまたま渋谷で見つけた美人に声をかけたらフランス人で、運良く今も仲良くしてもらっているという感じです。
rlee1984.hatenablog.com

フランスでは、交際を始めたら家族や友達にすぐに紹介します。彼女から聞いて驚いたのですが、15歳の彼女が23歳の男と交際していたとき、その男を家に招いて家族に紹介したこともあるそうです。うへー。
もちろん日本にも、同じくらいカップルの受容に積極的な家庭もあるのかもしれませんが、彼女はフランス人の中でもかなりシャイで消極的な方だというので、やはりお国柄の差は大きいのだろうと思います。
また、学生で同棲している人たちも少なくありません。というか僕らの場合も、同棲中の彼女が学生です。

家族行事には恋人を呼ぶのが当然で、彼女の祖父母の結婚50年を祝う金婚式に僕も呼ばれて醜態を晒しました(笑)
フランスで聞いた、50年つづく結婚生活の秘訣/ニートのフランス滞在記⑪ - フランス女性と同棲中

人間の活動ユニットの中心として「カップル関係」がある、カップル文化の国です。

そんなカップル文化に育った彼女と暮らしている身として、日本人男性もいけるんじゃない?と思う理由を書きます。
なお当たり前ですが、日本人男性にも色んな人がいると思いますので、ここからは僕の独断と偏見です。あくまで僕の主観的な経験を書きます。

1、繊細

日本はヤンデレという言葉が生まれるような国ですから、恋愛に関して陰湿になるほど繊細な人が多いようです。
恋人を手に入れるため盗撮、秘密暴露、自殺脅迫、殺人を行うイカれたゲーム - フランス女性と同棲中

ご多聞に漏れず僕も繊細なところがあって、部屋でゴキブリなどの虫を見かけるとウワーと叫んでしまうタイプなのですが、彼女が「怖がりすぎでしょ!」と言いながら冷静につかまえてくれるので安心です。
「また虫が来たら嫌だから殺してよー」と頼むものの、彼女は「殺したら可哀想だよ」と言いながらティッシュからふわりと窓の外へ虫を解き放ちます。そなたナウシカか。
こうして彼女の虫愛づる姫君っぷりを引き出すことができたのは、僕が繊細だからに他なりません。日本人男性も、いける!

2、束縛が弱い

もしかしたら、お互いに異性の友人は認めず、記念日は必ず二人で祝う、みたいな制約をするカップルもあるかもしれませんが、うちは違います。
彼女には男性の親友がいますし、僕も女性の友人と出かけることがあります。もちろん、お互いに少し嫉妬して監視するので、ちゃんと報告しますけどね。
二人の記念日とやらもお互いに覚えていないくらいなので、「じゃあキリがいいから11月11日を記念日にしようか」と勝手に設定したものの二人とも忘れて何もしたことがない有り様です。事後的に気づいた僕が、「そういえば11月11日が記念日って決めなかったっけ?」と言うと、「あ、本当だ。でもだいぶ過ぎちゃったよ」「うーん、じゃあ少し過ぎたけど、交際3年を祝って今日は飲んじゃおうか」「いいねー、するめ買ってこよう!」となりました。するめ、おいしい!

3、交際をオープンにする

はじめて彼女を実家に連れて行ったときの話にも書きましたが、僕はけっこうオープンです。
フランス人と同棲をはじめた - フランス女性と同棲中
「友達と飲んでるときに彼女が来ると面倒くさい」と考える人もいるようですが、そんなの知ったこっちゃない。みんなで楽しくやればいいよ。
相談:お風呂に入りたくありません - フランス女性と同棲中
相談:彼女がトイレをのぞいてきます - フランス女性と同棲中
トイレやお風呂の話も書くし、お互いに嫌だと感じない範囲でオープンにすればいいと思っています。お風呂、めんどくさい!

4、愛情表現をする

彼女と手をつなごうとすると、「なに?私と手を繋ぎたいの?(笑)」と言ってくることがあります。
「ううん、手が当たっただけ。調子に乗らないで(笑)」
「いいよ、無理しなくて。手を繋ぎたいでしょ?恥ずかしがらず正直に言っていいよ、繋いであげるから」
「違う違う、手を繋ぎたいのはそっちでしょ、そんなにたくさん手を繋ぐかどうかの話をしてきて。こっちは気にしてないのに、いっぱい言ってくるなんて。分かった、そんなに手を繋ぎたいなら繋いであげるね、仕方ないなあ」
そう言って、最終的に手を繋いで歩きます。

同じような言い争いが、ハグだったりキスだったりのときにも行われます。その時々に応じて勝敗があり、様々な決着があります。
勝っても負けてもどちらでもいい戦いが、そこにはあります。

5、恋人を大事にする

この一年、朝に家を出て帰りは終電という生活で、彼女と過ごす時間が少ない状態でした。それまで普通にできていた家事もできず仕事ばかりの毎日に。
日本の男性、仕事しすぎで家事しなさすぎ!/ニートのフランス滞在記⑩ - フランス女性と同棲中

その間、彼女は毎日お弁当を作ってくれていました。本当に感謝しかありません。
これからは、もっと二人の時間を大事にしたいと思う所存です。

恋愛をめぐる日本の問題点

ここまで、冒頭リンク先の記事国際恋愛中のわたしが「日本人男性と付き合いたくない」5つの理由 - AI TIMEに合わせて真似して書いてみましたが、やはり個人的な経験を元に国際比較をするのは大変に難しく、どう書いたところでやいのやいのと言われてしまいそうです。上記に挙げた話も、どう見たって個人的な事情に過ぎないので、それを一般化して話すのは難しいだろうというものばかりになりました。

とはいえ、このリンク先記事では概念的な説明が拙いために伝わりづらくなっていますが、日本の恋愛をめぐる事情には少し考慮すべき点があるのも事実だろうと僕は思います。日本は欧米と比べると、中途半端に輸入した恋愛主義(ロマンチックラブイデオロギー)が腐って繁殖しているようなところがあると思うからです。

ふたりエッチ 1 (ジェッツコミックス)

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かつての日本では、交際相手がいない適齢期のオスやメスに対しては「お見合い」で結婚相手を見繕うという文化があり、結婚とともに恋愛が始まることも多々あったようです。ところが近代以降、結婚へ移行する前段階として恋愛があるのだ自由に相手を選べるのだという恋愛主義を輸入しはじめてからというもの、お見合いという形態は徐々に廃れてしまいました。
その一方で、じゃあ自由恋愛ってどうやるの?どうやって出会い、交際を始めるの?という疑問に対しては、曲がり角でパンを咥えて走る運命の相手とぶつかりましょう、好きだと思っても表立った愛情表現はしないでおきましょう自然と伝わるものなのです、という恐ろしい回答を仕込んだマンガやアニメが氾濫し、現在では「まともな出会いがどこにあるのかわからない」「恋人がいるのは金持ちか美女イケメンだけでしょう」「カップルは爆発しろ」という考えを持つ人が多く生まれています。
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そもそも健全な恋愛市場が成り立つ前提として、出会う機会を作り増やすという意味でのナンパ文化(強く束縛した関係ばかりでなく弱いつながりを多く持つことで出会いのチャンスを増やす)や、交際関係を健全に保つ意味でのカップル文化(交際をオープンにする・積極的に愛情表現をするなど)が必要だと思うのです。
日本には、恋愛を生むためのナンパ文化も成熟していなければ、恋愛を育むためのカップル文化も成熟していない、そうした文化的土壌に恋愛主義の種だけ植えたって、腐ってしまうのは当然だろうと感じます。

その結果、日本は世界的に見ても異常なほど「交際相手のいない独身が多い」国として有名になってしまった。そのために晩婚化も進み、少子化には歯止めがかからない。

問題の解決策、脱出方法

こうした社会的な閉塞状況を急に変えるのは難しいとしても、恋愛をめぐる日本のおかしな状況から個々人が脱出する方法として、いくつかの考え方があると思っています。

対幻想―n個の性をめぐって

対幻想―n個の性をめぐって

一つは、恋愛主義(あるいはそれに結び付いた対幻想)を捨てること。お見合い結婚で上手く人だって多いのだし、自由恋愛にこだわる必要はありません。そもそも結婚してパートナーと暮らすべきという対幻想を捨てたってかまわない。おひとりさま、上等じゃないですか。正しいおひとりさまは、いちいちカップル文化に目くじら立てません。街中でイチャつくカップルに腹を立てるのは、自分も対幻想に染まっているせいに他ならないからです。
おひとりさまの老後 (文春文庫)

おひとりさまの老後 (文春文庫)

もう一つは、恋愛主義に応じたナンパ文化とカップル文化を培うこと。最近の街コンや相席居酒屋などのムーブメントはナンパ文化を培う試みのひとつだと読めるし、恋愛工学も(こちらはカップル文化にそぐわないので僕は嫌いですが)その潮流のひとつとして読むことができると思います。なおカップル文化については、日本では目立った動きがまだ出ていないように見えるので、これから培われていくのだろうと僕は考えています。ベビーカー論争はその先にある。この文脈で考えるなら、冒頭のリンク先の記事はそのままナンパ文化とカップル文化を推奨する内容として読むことができるので、この内容を主張したい若者が出てくるのも当然だろうと思って受容することができます。

カップル文化を培う例を挙げるなら、例えばフランスには、若者から老人までのカップルを主人公に、それぞれのカップルの日々の喧嘩の様子を見せるドラマ「SCENE DE MENAGE」があります。カップルってこんなもんだよな、と現実を知る上でも参考になるし、面白い番組です。それに比べれば、日本にあるドラマやバラエティ番組は、交際が始まる前の物語か、もしくは子供ができたあとの家族の物語だけ。交際中のカップルの暮らしをメインに描いた物語がいかに少ないことか。もちろん、カップルを描いた物語が日本に全くないというわけではなくて、例えば「ふたりエッチ」というカップルのSEXをメインテーマにしたお化けマンガなどもあるにはあるのですが(ふたりエッチのマンガはフランスでも大人気です)、でもやはり、カップルを描いた物語の絶対数があからさまに少ない。

ふたりエッチ 67 (ジェッツコミックス)

ふたりエッチ 67 (ジェッツコミックス)

そういうわけで今後、恋愛中のカップルをめぐる物語が増えていけば自然とカップル文化が培われていくのではないかと僕は考えていて、その実例を示す目的もあって、このブログでは「惚気ばかり書くクソ、もげろ、死ね」などの罵詈雑言を浴びながらもカップルの生活について書き続けているわけです。

たかが個人ブログでさえ、惚気を書く前には「これから書くのは惚気になってしまうかもしれませんので、嫌な人は読まないでくださいね」という注意書きをするのがポピュラーになっている日本の現状がおかしいと僕は感じていて、交際開始や結婚への祝福の掛け声として「爆発しろ!」という言葉がポピュラーになっている現状が異常だと感じているのです。日本の常識、世界の非常識。もちろん、日本に住んで日本語を使っている以上、ある程度は日本の常識に合わせるべきだとは思いますが、日本がどこへ向かうべきかを想像した上で、現在の日本では非常識に見えることでも、近い将来の日本では常識になっていてほしい態度や方法を採るべきだと考えます。

結論

独り身を馬鹿にして差別するのも好きじゃないけれど、カップルを目の敵にして憎悪するのも好きじゃない。お互い文句を言い合うことなく、好きにやっていればいい。おひとりさまの文化とカップル文化は相容れないものではない。それぞれに矜持をもって、へりくだることなく自由にやればいい。

そういう意味で、冒頭に挙げた記事は、たしかに拙い部分があるとは思うけれど肯ける部分もあって、良い部分だけ拾って前向きに捉えればいいのではと思いました。でも、ネットでの反応を見ると、拙い部分だけ拾って文句をつける人があまりに多いなあと思ったので、この記事を書きました。

日本人男性にも良いところあるし、いけると思う。ただ、それでも諸外国に学ぶべきこともある。日本とか男性とかに限らず、なんでもそう。おひとりさまもカップルも、男でも女でもLGBTでも、前向きに日々改善を進めていけばいいんじゃないかと思う次第です。

参考

なお、冒頭記事を書いた学生ライターの雨宮さんは次のような補足を書いているので、一応リンクを貼っておきます。
寄稿した記事が炎上した。初めて炎上して思うこと - ドイツ発 雨宮の迷走ニュースコレが好きだからアレは嫌いという考え方は誰も幸せにしない - いつか終わるブログ
はてなブックマークのコメントは読む価値がない酷いものも多いので無視して構わないと思いますが、記事として共感や応援も含めて言及している次のようなエントリは、反応の一つとして読むとライターとして雨宮さんのためにもなるのではないかなと思いました。
親切な母親ほど子どもを駄目にする - mini mischief♭
「黙ってても、想いは伝わる」って人多すぎ。ちゃんと言葉で伝えろー!! - 友達は少ない方がいいんじゃない??
もしかしたら、俺、日本人じゃないかも? - ロゴスエモ
コレが好きだからアレは嫌いという考え方は誰も幸せにしない - いつか終わるブログ
恋は盲目 - バカは風邪をひく。
日本人女性が白人男性にモテる理由と、日本の男はモテない話。&どこの国ならモテるのか - F Lab.
せっかく多くの反応が得られたのだから、これを良いきっかけに、めげずに頑張ってほしいものです。

台湾ラーメンアメリカンて何!?言葉の争いが面白い名古屋めしを紹介します

このところ全国各地のご当地品を広める広報活動のお手伝いをしていて、日本には美味しいものや面白いものが沢山あるなあと感心する毎日だったのですが、その中でも今回は名古屋名物について、個人的に面白いと思ったことを紹介します。

名古屋名物

名古屋といえば、きしめん、味噌煮込みうどん、カレーうどん、あんかけスパゲティ、台湾ラーメンと、美味しい「麺類」のご当地名物食品が多いことで有名です。そして、「味噌煮込みうどんといえば山本屋」「カレーうどんといえば若鯱屋」というように、どの料理にも名古屋では知らぬ人のない有名なお店があるのですが、今ここに挙げた山本屋と若鯱屋には、お店の名前をめぐって、汁で麺を洗う言葉の争いをしていた過去があります。

味噌煮込みうどんの山本屋

味噌煮込みうどんのお店には、「山本屋総本家」「山本屋本店」というよく似た名前のお店があります。どちらも名古屋に拠点を置くこの二つ、実は全くの別会社で、似ている名前を使っている相手企業をどちらもライバル視しています。

山本屋総本家のHPには、味噌煮込みうどんを「名古屋名物にまで育て上げた山本屋総本家」という記述があり、元祖感をアピールしているように見えます。
一方、山本屋本店のHPには、味噌煮込みうどんの「専門店としての姿勢を貫き、より高品質で付加価値の高い商品」という記述があり、きしめんなど他メニューも置いてある総本家とはレベルが違いますよとアピールしているように見えます。

面白い。味噌でうどんを洗う山本屋の争い、めっちゃ面白い!

それぞれの特徴としては、このHPのアピール文が表している通り、「山本屋総本家」は昔から庶民に親しまれてきましたよというお店の展開をしているので、きしめんなど色んなメニューがあってお値段もリーズナブルなのに対して、「山本屋本店」は少しだけお値段が高いものの味とサービスの良さが評価されているようです。


いまや、どちらも愛知県内だけで10店舗以上を展開する超有名店。

そこへ最近、もう1つの「山本屋」が登場しています。それが、味噌煮込みうどんの山本屋大久手

大正14年に山本屋という名前をもらって創業したのがはじまりだとしている「山本屋総本家」に対抗しているのか、この「山本屋大久手」のHP沿革を見ると、同じく大正14年に創業した店主の親戚筋として何代もお店をやっていることが示されています。

もう、何が何やら。。。たかが店名だし、傍目には「どうでもいいよ、わかりやすく区別してくれない?」って思ってしまうんですが(笑)、それでもこんな風にやいのやいの言ってるのを知ってしまったら、ぜんぶの味噌煮込みうどんを食べ比べてみたくなってしまいます。
お店側にとってはそれが狙いなのでしょうから、どうでもいいと言いつつも完全にてのひらの上で転がされてしまっているのだと思いますが、なんだかんだで面白いから仕方がない。

しかし、それ以上に面白いのがカレーうどんです。

カレーうどんの若鯱屋

若鯱屋(わかしゃちや)といえば、全国に60店舗以上をチェーン展開する有名なカレーうどんのお店です。
若鯱家|ちゅるちゅる、うまうまでおなじみ、名物カレーうどんの「若鯱家」
一方で、かつて「若鯱屋 黒川本店」を名乗っていたにも関わらず、訴訟に敗れて現在では「本店鯱乃家」と屋号を変えたカレーうどん屋があります。

もちろん、どちらも名古屋市内に拠点を置く会社。

そう聞くと、この本店鯱乃家という店が後から若鯱屋を名乗ろうと便乗したのだろうと思うかもしれませんが、実は意外なことに「本店鯱乃家」の方が現在の「若鯱屋」より古くから若鯱屋を名乗ってカレーうどんを出していたそうです。

じゃあ、どういう経緯で「若鯱屋 黒川本店」は「本店鯱乃家」に名前を変えることになったのか、WIKIPEDIAにはこんな悲しい話が載っています。

若鯱屋の起源となる店舗は黒川(当時の黒川本店、現在は「本店鯱乃家」と屋号を変えて営業)にあり、繁盛店として知られるとともに名古屋一円のうどん屋の跡取りが修行する店としても有名であった。しかしブランド名の商標登録を行っていなかったことから、同店出身者の一人が「若鯱家」を商標登録し、本店とは無関係に当該名称で1988年頃から各地にチェーン展開を開始したものである。

なんと、かつて有名店だった「若鯱屋」の黒川本店で修業した弟子筋が、まだ商標登録されてないのをいいことに「若鯱屋」を商標登録してチェーン展開を開始。法的には先に登録した方に権利が与えられるため、訴訟に敗れた師匠筋にあたる「若鯱屋」の黒川本店は、「鯱乃家」への店名変更を余儀なくされたというのです。

本店鯱乃家さん、かわいそう…!

ただ、商号登録をして名前の権利も得た現在の若鯱屋の方は、どんどん店舗を増やしてカレーうどんファンを開拓しつづけているので、経営の才能があったのだろうとなとも思います。それはそれで一つの功績。

しかし、1人の消費者としては、やはり店の名前がどうこうなんて知ったこっちゃありません。気になるのは、どっちが美味しいのだろうかという、その一点!
実際にお店に行くのが一番だとは思いますが、監修したシリーズがあったり通販していたりするので、リンクを貼っておきます。

カレーでうどんを洗う鯱の争いですが、この古い若鯱たちの中に最近、新たな若鯱が登場して業界を騒がせています。その店の名は「鯱市」。
カレー煮込うどん「鯱市」

なんとこの鯱市、先に山本屋の争いでも登場した味噌煮込みうどんの老舗「山本屋本店」が、姉妹店として始めたカレー煮込うどん屋なのです!!!

こりゃあ確信犯ですわ。。。だって、名前に「鯱」を使う由縁が何もないし、あれだけライバルと競い合い誇りを持っていたハズの「山本屋」は使わないのかよ!っていう(笑)
もう、山本屋の争いで味を占めたのだろうと思われても仕方がない(笑)

とはいえ食べログでの鯱市の評価は3.5と若鯱家に勝るとも劣らぬ良い評判で、味を占めたのはお客の方だった様子。
鯱市さん、若鯱どころか古狸と呼ぶべきというか何というか、、、やりおる! 面白すぎる!

さて、名古屋めしとも呼ばれる名古屋名物の面白ネーミングは他にもあります。

面白い名前たち

味噌煮込みうどんの「ミッソ~ニ」、あんかけスパゲティの「からめ亭」など、動詞なのか助詞なのか分からないものが店名になっているところもあれば、あんかけスパゲティの店には「あんかけ屋」「あんかけ亭」「あんかけ太郎」という、何の捻りもないストレートな名前で消費者の混乱を争う味自慢たちがいます。

ど、どれにすればいいんだ…??? 
また全て食べ比べさせようという作戦か名古屋人め!!!

そんな名古屋にあって、店名や商品名で争うことなく平和に展開している奇跡の名古屋めしがあります。

それが、名古屋名物「台湾ラーメン」。
味仙本店 - 元祖名古屋名物台湾ラーメンの中国台湾料理店

なんか国とか地方とかの単位が逆になってるっていうか、ずいぶん無茶していませんかっていう感じがしてしまいますが、元々は中華料理店「味仙」を営む台湾出身の店主がまかない用に作っていた激辛ラーメンを台湾ラーメンとして店に出したところ好評で、その味に病みつきになった人が「私の店でもこの台湾ラーメンを作りたいんですが、いいですか?」と聞くと「いいよー」とあっさり承諾する味仙店主、という流れで台湾ラーメンを出す店が名古屋にどんどん増えていつしか名古屋名物になったのだとか。

そのため台湾に行ってもこの台湾ラーメンは存在せず、日本の味仙が起源になっている正真正銘の名古屋名物なのだそうです。

台湾ラーメンを他店が真似することに何のケチもつけない味仙の店主、名古屋名物として台湾ラーメンという名前と味を受け入れる名古屋人。
なんと良い話なのだろうと感動すると同時に、山本屋の争い・鯱の争いのエピソードを思い起こして、そのギャップに思わず笑ってしまいます。面白いよ名古屋!

さて、その台湾ラーメンの味仙に僕も行ったことがあるのですが、メニューはこんな感じでした。
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そこでビックリしたのは、台湾ラーメン(アメリカン)という商品。

名古屋名物の台湾ラーメンのアメリカン。

名古屋名物、台湾ラーメン、アメリカン。

…グローバル化しすぎ!(笑)
麺に国境線を練り込んでるんですか、っていうくらいメルカトル図法を無視したネーミングに爆笑。

いちおう後で調べて分かったネーミングの理由なのですが、台湾ラーメンは大量の唐辛子を使った激辛味で、その辛さを薄く抑えたマイルド版をアメリカンと呼んでいるのだそうです。薄くマイルドに抑えたものをアメリカンと呼ぶ語法はアメリカンコーヒーから来た和製英語なのですが、それを台湾ラーメンに応用してしまうとは、恐ろしき言葉のセンス!

名古屋名物の言葉の争い、面白すぎますてー。

ちなみに、この記事を書いたきっかけは、最近こちらの記事を読んだからです。
bakazee.hatenablog.com
watto.hatenablog.com

たしかに関東には、台湾ラーメンを知らない人も多いですよね。
でも僕、こないだセブンイレブンのご当地ラーメンシリーズで台湾ラーメンを見ましたし、今日は台湾ラーメンのカップ麺が売られているのを見たんです!
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この夏、もしかして、全国的に台湾ラーメンのブームが来るんじゃないでしょうか。
暑い夏に激辛の台湾ラーメンブーム、来そうだよなあ。。
コンビニで売られているチルドタイプやカップ麺タイプもいいですが、一応、味仙が出してる本商品もリンク貼っておきますね。

おまけ

ちなみに、僕が数年前まで住んでいた東京の田無市にも、おかしなネーミングのお店がありました。
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「PARIS吉祥寺本店」

東京に詳しくない方のためにも説明しておくと、吉祥寺というのは東京都武蔵野市の中にある地名です。東京都田無市とは無関係です。

「PARIS吉祥寺本店」

この店は、田無という洒落っ気のない街に現れたパリだと言いたいのか。それとも、東京でも比較的お洒落感のある吉祥寺だと言いたいのか。それにしても本店とはいったい何を意味するのか。

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田無市にあるPARIS吉祥寺本店は閉店してしまったため、謎は謎のまま、僕らは田無をあとにしたのでした。

恋人を手に入れるため盗撮、秘密暴露、自殺脅迫、殺人を行うイカれたゲーム

ヤンデレ

恋の中には、苦しいほど好きという心情があるようです。
その苦しさが病的になり、好きという執着の度合いが異常になった人を「ヤンデレ」と呼びます。
「病み」と「デレ」の合成語。

そんなヤンデレの極致を体験できる「ヤンデレシミュレーター」をご存知でしょうか。

「あのひとは私のすべて。あの人を手に入れるためなら何でもできる」という主人公の独白で始まるこのゲームでは、ときには盗撮をして、ときには秘密暴露や自殺脅迫をして、それでも邪魔する者は殺してしまうことで、恋するあのひとを手に入れます。。。って、設定がおかしすぎる!(笑)

YANDERE simulator

https://yanderedev.wordpress.com/
カリフォルニア在住のyanderedevが開発中のインディーズゲームで、まだ日本語版もないのであまり知られていないようですが、かなり面白いです。
ヤンデレを体験するという奇抜な設定もそうなのですが、日本アニメ好きのアメリカ人が作ったからこそ見られる面白ポイントが随所にあって、盗撮や殺人などの恐ろしいヤンデレ行為とのギャップに思わず笑ってしまいます。

現在、開発者自身が「完成まで時間とお金がかかりすぎる」と病み状態になってきているそうで、キックスターターでのクラウドファンディングを行うかどうかなども悩んでいるようです。

かなりイカれてはいますが面白いゲームだったので、もっと認知度が高くなって資金調達も上手くいって完成まで漕ぎつけてほしい!

「もし身近にヤンデレがいたら、もしヤンデレに狙われてしまったら」という目線でプレイすれば学びがあるかもしれないですし…って、そんなヤンデレと関わり合いになる機会は滅多にないとは思うのだけれど(笑) 

とはいえ、社会や人間を未来へ導くための優しくも厳しい名言の数々で人気を博しているはてな神xevraさんが言うには、はてなブログやはてなブックマークを利用している人には精神状態が芳しくないためにヤンデレ化する人も多いとのことなので、はてなサービスの利用者は、もしもの事態に備えてこのゲームでヤンデレのシミュレーションをしておくのも良いのではないでしょうか。

ヤンデレの世界をのぞいてみる

ちなみに僕がこのゲームを知ったのは、同棲中の彼女が教えてくれたことがきっかけでした。
彼女がyoutubeでプレイ動画を見て「このゲーム面白いよ!」と言うから見たのですが、英語字幕しかないゲームなので日本人にはなかなか大変なところがありますが、面白そうだなと思った人は、ぜひDownloads | Game Development Blog
からダウンロードして、ヤンデレの世界をのぞいてみてください。

「なにこれ気持ち悪い!」と笑ったあとは、ヤンデレさんとは絶対に関わり合いを持たないようにしよう、という決意が生まれるハズです…!

はてなブログではGoogle Adsenseに審査申請できないので注意

はてなブログでは、Google Adsenseに登録できないようです。

僕がこのブログ自体を開設したのは数年前なのですが、ブログでマネタイズどうこうというのが胡散臭くて好きではなかったため、特に何もしていませんでした。

とはいえ、はてなブログPROで利用しているために毎月お金がかかっていたので、このたびGoogle Adsenseを利用してみようと思って準備を始めたのです。

それで分かったのですが、2016年3月頃からGoogleアドセンスの審査では「サブドメイン」のURLは申請できなくなったようなのです。

はてなブログの利用者はすべてサブドメインなので、今後、はてなブログを使って新規に Google Adsense に審査申請することはできなくなった、ということです。

参考:サブドメインとは
このブログのURLは「rlee1984.hatenablog.com」です。このうち大元のドメインが「hatenablog.com」で、サブドメインとして
「rlee1984」を使っています。

実際に、広告掲載先のURLとして申請する箇所にこのブログのURL http://rlee1984.hatenablog.com を記入してみると、次のエラーメッセージが出ます。

URL にはパス(example.com/path)やサブドメイン(subdomain.example.com)を使用できません。

このエラーメッセージを見たときは、「じゃあ独自ドメインを作れってことね、了解、了解。はてなブログPROにしている人は独自ドメインが使えるハズだから問題ないよね」と思って独自ドメインの設定をしようとしたのですが、はてなブログで独自ドメインを利用する際には、その仕組み上、やはりサブドメインを設定しないといけないようです。

はてなブログを独自ドメインで利用する - はてなブログ ヘルプ

はてなブログでは、サブドメインを使用しないexample.comでブログを運用すると、ドメイン名の仕組み上、トラブルの原因になることがあります(注1)。取得したドメインの前に、必ずサブドメイン(blogやwwwなど)を付加してください。

(注1)はてなブログの独自ドメインは、説明にあるようにCNAMEで指定します。ドメイン名の仕組みにより、ドメイン登録事業者で取得したままの「example.com」といったネイキッドドメイン(サブドメインが付かない素のドメイン)はCNAMEにできません。はてなブログで使用する独自ドメインには、必ずサブドメインをつけてください。

今後、新たにGoogle Adsenseに審査申請しようかと迷っている人に向けて、はてなブログではたとえ有料プランを使っていても申請は難しいですよ、という記事でした。

「性欲」の対義語を考える

人間には、性欲があるそうです。
ここで僕は、1人の人間です。
それゆえ僕には、性欲があります。

今のところ僕は毎日、性欲の訪れを実感しています。
気象庁が観測する雨雲の訪れよりも確かな精度で、僕は性欲の訪れを実感できます。

とはいえ、すべての人間が僕と同じように性欲を実感しているわけではないと思います。
程度の差もあるでしょうし、頻度の差もあるでしょう。

中には、性欲がない人間もいるそうです。あせくしゃる。
ここで僕は、1人の人間です。
それゆえ僕にも、性欲がないかもしれません。

だがしかし、今のところ僕は毎日、性欲の訪れを実感しているのです。
国税庁が調査する確定申告書類よりも確かな精度で、僕は性欲の訪れを実感できます。

今日も性欲の訪れを実感したため、普段から考えていた「性欲の対義語」について書きます。

利己的遺伝子

性欲について、僕はリチャード・ドーキンスの『利己的遺伝子』を元に考えています。
つまり、生物的な遺伝子(ジーン;gene)を次世代に残すことを目的として、個体としての僕は性欲を実感しているのだろうと思っています。

ここでドーキンスは、文化的な意伝子(ミーム;meme)という概念を作っています。

ジーン(生物的遺伝子)が、性交渉によって性器を介してコピーされ移り行く生物情報の単位であるのに対して、ミーム(文化的意伝子)は、コミュニケーションによって脳を介してコピーされ移り行く文化情報の単位です。
ミーム(文化的意伝子)の例として、メロディやキャッチフレーズ、服の流行、橋の作り方などが挙げられています。

ジーンとミーム

僕は、ドーキンスが考えた二つの概念を、次のように捉え直しています。

ジーン(生物的遺伝子)は、子供を作りたい、セックスしたいという欲求を抱かせる。
ミーム(文化的意伝子)は、他人に伝えたい、影響を与えたいという欲求を抱かせる。

もう少し言い換えて、子供を作りたいという欲求がジーンによるもの、子供を育てたいという欲求がミームによるもの、という風に考えることもできると思っています。育てるということは、自分の文化的要素を次世代に引き継がせることに他ならないからです。
ヒトという種は、生物には珍しく閉経しても生き長らえます。これは、次世代を育てるためではないか、という仮説があります。
男が産休・育休を取れない本当の原因 - デマこい!
ここから、ヒトが、育てたいという欲求を生まれつき備えているのではないかという仮説を導くことができます。

性欲の対義語

つまり僕は、「性欲」の対義語を「影響欲」だと考えています。
そして、性欲の発露としてのセックスにも「ハグ-キス-オーラルセックス」など様々な段階があるように、影響欲の発露としての育成にも「伝える-教える-育てる」などの段階があり、それぞれに快を感じる性質が人間にはあるのではないか、と思っています。

なお、それぞれの欲求はその発現までに複雑な経路をたどるため、その発露が本来的ではない場合もあります。
たとえば現代の日本では、本来的には子供を作ることが目的であるハズの性欲が、自慰やコンドームやピルにより目的を阻害された形で発露されるのが通常です。それと同様に、本来的には未来へ伝えることが目的であるハズの影響欲が、支配欲や権力欲のように望ましくない形で発露されることも多々あるでしょう。

とはいえ欲求自体はシンプルで、次の二つが基本として人間にプリセットされていると考えると、いろんな物事を見るときにスッキリして良いと思っています。

こどもを作りたい、だれかとSEXしたい。ジーンの賜物としての性欲。
こどもを育てたい、だれかに伝えたい。ミームの賜物としての影響欲。

そういうわけで、この記事は、影響欲の訪れを実感しながら書かれました。
みなさんにも、この文字列は訪れましたか。

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